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ユーザーフレンドリーなデボーション記事

  • 手をつなぎ、愛とつながる

    Hand in Hand, Connected to Love
    November 19, 2025

    エバ・マリアンヌ

    私たち夫婦は、長い散歩をするのが好きです。日々の運動の一環として、外に出かけて四季折々の自然の美しさを楽しむことが、習慣となりました。散歩のときは、よく手をつなぎます。それは、私たち二人を幸せで心地よい気持ちにしてくれるのです。

    私は、手の素晴らしさと、それがいかに驚くべき贈り物であるかについて考えていました。私たちは、困っている人に手を差し伸べて、助けることができます。誰かにそっと触れて、「あなたのことを愛し、気にかけています」と伝えることができます。大切な人の手を握ることで、気持ちを楽にさせ、不安を取り除くことができます。孫と歩きながら、手をつないでいるから大丈夫よ、と安心させることができます。手をつなぐことは、私たちがつながっていて一つであることを示しているのです。手には素晴らしい点がたくさんあって、私たちはそれを見出すべきだし、周りの人々の役に立つ良きことに、自分の手を用いることができます。

    聖書には、イエスが、出会った人々に癒やしと慰めをもたらすために、その手を用いられたことが記されています。

    「日が暮れると、いろいろな病気になやむ者をかかえている人々が、皆それをイエスのところに連れてきたので、そのひとりびとりに手を置いて、おいやしになった」(ルカ4:40)。

    「『幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。神の国はこのような者の国である。』 そして彼らを抱き、手をその上において祝福された」(マルコ10:14,16)。

    手で思い出す美しい芸術作品に、アルブレヒト・デューラーの『祈る手』という絵画(1508年)[1] があります。また、多くの美術、音楽、創作物が、誰かの手によって生み出されてきました。彫刻、絵画、音楽、建築など、たくさんあります。その制作過程が苦痛を伴い、骨の折れるものであったにもかかわらず、素晴らしい絵画や情景が生み出されたこともあります。ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂天井画や、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』もそうでした。ショパンやシューマンといった音楽家たちは、病気や手の不調のため、時にはかなり困難を抱えながらも、演奏や作曲を行いました。数々の傑作に表れているように、そういった人たちの苦しみは、美術や音楽の中に、神の愛の美しさを引き出しています。そして、忘れてはならないのは、日々その手の働きによって、建設やものづくり、農業、その他の労働に携わる人たちのことです。

    著名な芸術家や、彼らに与えられた驚くべき才能を思うとき、私の思いは偉大な創造主であり、愛する父である神へと向かいます。神は芸術家であって、その愛に満ちた御手と御言葉の力とによって、万物を創造されました。散歩に出かけるとき、私たちは空や雲、太陽、木々、鳥、花など、神が造られた自然とその美しさを楽しみます。そして、私たちの周りには素晴らしい世界があることを思い起こし、神の御手によって造られたすべてのものに驚嘆します。それらは皆、私たちが楽しみ、大切に世話するために与えられたのです。

    以下に挙げるのは、神の御手の働きについて語っている聖書の箇所です。

    「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす」(詩篇19:1)。

    「すべての生き物の命、およびすべての人の息は彼の手のうちにある」(ヨブ12:10)。

    「あなたはみ手を開いて、すべての生けるものの願いを飽かせられます」(詩篇145:16)。

    私自身の人生について言えば、神が私を見守り、愛の御手で生涯を導いてくださると知っていることは、大きな慰めとなっています。これまで、病院や歯医者へ行くことや、成人した子どもと孫の将来への不安、家計の心配など、さまざまな恐れと不安に直面してきました。私を押しつぶし、落胆をもたらすほどの恐れも、多く経験しました。おそらく、あなたも同じようなことを経験したことがあるでしょう。

    そのような状況において、主と御言葉にすがることは、私に慰めと平安をもたらしてくれました。そして、良いことや前向きなことに心を留めることが、困難を乗り越え、最後までやり抜くための勇気と希望を保ち続ける助けになると実感してきたのです。

    私に力と平安を与えてくれる聖句を2つ紹介します。

    「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる」(イザヤ41:10)。

    「そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう」(ピリピ4:7)。

    私を導いてくれる愛に満ちた御手に、自分の手と人生をゆだねることを学ぶにつれ、心には多くの喜びが、思いには多くの平安がもたらされました。私は、この地上での人生は自分一人で進む旅ではないことを知っています。むしろ、主が共にいて、私を守り、どんなときも導き、必要をすべて満たしてくださるのです。主に触れられると、慰めと癒やしが与えられます。そして、その御手は私を引き上げて支え、尽きることのない主の愛は私に大きな喜びをもたらしてくれます。なんて素晴らしい旅のパートナーなのでしょう。主は、こう約束してくださいました。「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない。いつもあなたがたと共にいるのである」(ヘブル13:5; マタイ28:20)。

    心に留めて考えてみるといい言葉をいくつか挙げます。

    「宇宙の驚異について知れば知るほど、私たちは神の御手の業をより鮮明に見て取るようになる。」—フランク・ボーマン

    「大小を問わず、あらゆるものの中に、神の御手の業が見られる。」—ヘレン・スタイナー・ライス

    「人生を愛するのは素晴らしいことだ。人生を、神の御手からの尊い贈り物として受け入れ、思いっきり生きるよう努めなさい。」—ウィルファード・ピーターソン

    ここで書いてきた物の見方や考え方が、あなたの心に響き、あなたがいつも神の御手の中で愛され守られていると確信する助けとなれば、さいわいです。

    私たちは今日もまた、手をつないで散歩をしました。私の手は、夫の大きくしっかりした手の中ではとても小さく感じられます。こういった瞬間が、私にとっては幸せなことで、自分は愛され、守られているのだと実感し、感謝の気持で満たされるのです。

  • 4月 7 私たちには互いが必要
  • 4月 3 イエスの復活(パート2)
  • 3月 30 トラクトで救われる
  • 3月 26 イエスの復活(パート1)
  • 3月 24 見た目を超えて
  • 3月 22 ルツ物語(パート2)
  • 3月 18 信仰にもとづいて歩む
  • 3月 14 ルツ物語(パート1)
  • 3月 9 永遠の現実性
   

ディレクターズ・コーナー

信仰を築く記事と聖書研究

  • 弟子の生き方(パート3): キリストにとどまる

    [The Life of Discipleship, Part 3: Abiding in Christ]

    September 16, 2025

    キリストにとどまることは、弟子としての歩みにおいて重要な要素です。それには、自分の全存在をもって神を愛し、御言葉を学んでそれにとどまり、その原則に従って人生を整え、イエスの教えと手本に従うことが含まれます。

    イエスは死の前夜、告別説教の中で、イエスにとどまる必要性と、その結果として得られる祝福や益について、弟子たちに語られました。ご自身と密接なつながりを保つことの重要性と、そうすることで私たちは実を結ぶようになるのだということを、強調されたのです。弟子は実を結ぶように定められており、そうすることによって神は栄光をお受けになるのだと、イエスはヨハネ15章で説明しておられます。

    わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです (ヨハネ15:4–5, 8 新改訳2017)。

    イエスはさらに、ご自分を愛することと戒めを守ることとの関連性や、ご自身にとどまっていることで与えられる祝福と喜びを明らかにされました。

    父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。わたしがわたしの父の戒めを守って、父の愛にとどまっているのと同じように、あなたがたもわたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっているのです。わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたが喜びで満ちあふれるようになるために、わたしはこれらのことをあなたがたに話しました (ヨハネ15:9–11 新改訳2017)。

    もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう (ヨハネ14:23)。

    イエスは、「もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである」と言って(ヨハネ14:15)、主への愛と、主の教えへの従順とを、明確に結びつけられました。この箇所で「守る」と訳されているギリシャ語は、「注意深く従う、遵守する」、という意味です。つまり、私たちがイエスを愛するなら、イエスの教えを守り、それに従い、その原則を自分の生活に適用するということです。イエスへの愛は、イエスの言葉を守り、実践し、その原則に基づいて生活する姿に現れます。

    ヨハネの福音書には、イエスの言葉の内にとどまることが、弟子であることの決定的な要素だと記されています。「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである」、とイエスが言われたとおりです(ヨハネ8:31)。もっとも、イエスの厳しい教えの中には、口で言うほど簡単ではないものもあります。たとえば、「自分の十字架を負うてわたしについて来るものでなければ、わたしの弟子となることはできない」(ルカ14:27)や、その数節後の「自分の財産をことごとく捨て切るものでなくては、わたしの弟子となることはできない」(ルカ14:33)といった言葉です。

    イエスはこれらの聖句で、神の召命に耳を傾け、神に従い、神の御心を行うことが何よりも重要である、という霊的な原則を示されました。私たちに、人生のすべてを主に捧げ、救いについて主だけを信頼し、その上で弟子として主に従う事を求めておられるのです。イエスが「わたしについて来なさい」と言われるとき、ついてくるようあなたに呼びかけておられるその道は、あなたにとっての弟子の道です。それは、固有の道であって、イエスについて行く者一人ひとりに、それぞれ他とは異なる道が与えられています。ここで原則となっているのは、弟子は神に属しており、その忠誠は第一に神に捧げられるものだということ、そして、心と精神と思いを尽くして神を愛し、神に従うということです。

    主は全員に同じ形の奉仕や同じ弟子の資質が現れることを求めないし、主の子どもたち全員に同じコミットメントや犠牲を求めたりされません。歴史を通じて、異なる状況下で主のために偉大な仕事をした人々の例はたくさんあります。海外の宣教地、政府、事業、裕福な家庭、病床、貧困、物理的に切迫した状況などにいた人もいれば、教壇に立った人、世界的に有名だった人、そして多くの陰の英雄がいます。クリスチャンとしてのコミットメントと弟子の資質を示すテスティモニーに共通した、私たちを発奮させ、意欲を高めてくれることとは、イエスへの愛と主の召しへの忠実さです。

    主が私たち一人ひとりを、どんな形で主に従い仕えるよう求められるとしても、「イエスにとどまる」という原則は、イエスとの永続的な関係を絶えず育んでいくことを指します。イエスは弟子たちに、ご自身の内にとどまり、イエスの言葉を彼らの内にとどまらせ、教えに従うよう求められました。そして、そうするとき、私たちはイエスの愛の内にとどまって実を結ぶようになり、弟子である私たちに主が与えてくださる喜びが私たちの内にとどまるのです。

    単なるコーヒーブレイク以上のもの

    イエスは、私たちがご自身の内にとどまっているべきだと言われました。イエスから離れては、私たちは何もできないからだと(ヨハネ15:4–5)。私たちの多くは、イエスとの「コーヒーブレイク」なら喜んでとろうとしますが、「とどまる」とは、そういった短い訪問以上の意味を持ちます。「とどまる」と訳された言葉は、ギリシャ語の原語では「住む、存続する」という意味です。… 神の臨在の内にとどまるとき、神は御心をさらに明らかにしてくださいます。ご自身について、またあなたの人生に対する計画と目的について、より深い啓示を与えてくださるのです。…

    [私たちは、]人生の最優先事項として、神に自分を捧げる[必要があります]。仕事から、無益なことで時間をつぶす行為(例えば、テレビの前で何時間も過ごすこと)に至るまで、そういった私たちの気を散らすものを脇に置くとき、神は私たちの霊的な力を増し加えてくださいます。主の御前を歩むなら、神はあなたを霊的に強健にしてくださるのです。イザヤもこう書いています。「しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない」(イザヤ40:31)。—K・A・ポール [1]

    つながる

    J・C・ライルは、キリストにとどまることを、「主との絶え間ない親密な交わりの習慣」と表現しています。細胞が癒合して、ぶどうの木にしっかり接着するまで、接ぎ木された枝がテープで人為的に固定される必要があるように、こうした習慣も、最初は不自然に感じられるかもしれません。

    しかし、そういった習慣そのものではなく、その目的である「命の源であるキリストにとどまり、つながっている」ことに焦点を合わせていれば、時間とともにより自然にできるようになり、生涯にわたるキリストとの結びつきを育むことになります。

    この習慣には、以下のようなものがあります。

    • 御言葉を通して語られる神の声に耳を傾け、神とつながること。
    • 祈りを通して御言葉に応答し、神と交わること。
    • 私たちへの神の大きな愛を思い出させる福音の真理を、繰り返し心に刻むこと。
    • あらゆる状況で神を必要としていることを、常に意識すること。
    • 自力で問題を解決しようとする誘惑に駆られるときに、神を信頼すること。
    • 神の道が自分の道と異なって見えるときにも、罪を避けることであれ、善を追い求めることであれ、従順に神に従うこと。
    • 大勢の聖徒たちと共に、忍耐を貫き、救い主に目を留めつつ、競走を走り抜くこと(ヘブル12:1–2)。—ベラ・クリスチャン [2]

    神の言葉にとどまる

    イエスにとどまることについて、大切な要素とは、御言葉を読み、学び、黙想し、暗記することです。神は、聖書を通してご自身を私たちに啓示されました。私たちは聖書に書かれたことから、神について、また、人類に対する神の愛や私たちのための救いの計画について、学びます。神は、私たちへの愛を語り、不完全で限界のある存在である私たちがどのように神との関係を築けるかを示しておられます。聖書を読むことで、私たちはイエスの教えに耳を傾け、その愛の模範を見ます。そして、私たちのために捧げられたイエスの犠牲により、生まれ変わって神の子どもとなるよう促されます。

    御言葉にとどまればとどまるほど、また、御言葉を私たちの内にとどまらせればとどまらせるほど、どうすれば御心に従って神とその愛を映し出す生き方ができるかについて理解が深まり、学びと成長が進みます。毎日、聖書やデボーション資料を読むために時間を取ることで、私たちは読んだものを通して主に語っていただき、主の教えと導きを受け取り、人生の問題や困難を切り抜けるための助けを得られるようになるのです。御言葉は、私たちが従うべき道徳的規範を知らせ、決断すべきときに導きを与えてくれます。

    御言葉にとどまるにつれ、主が私たち一人ひとりに与えられた価値と、すべての人間に対して抱いておられる愛と憐れみに、ますます気づくようになります。聖書に書かれた真理を吸収して、日々の生活に適用するにつれ、私たちは人生の錨を主の内に下ろすようになります。そして、イエスが語られたたとえ話に出てくる、岩の上に家を建てた賢い人のようになるのです。雨が降り、風が吹いて家に打ち付けても、その家は倒れませんでした。岩を土台としていたからです。イエスはこのたとえの要点を、次のように語っておられます。「わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう」(マタイ7:24–27)。

    神が御言葉の中で私たちに語られたことを読む時間を毎日取ることは、日々押し寄せる情報とインプットの渦を無事通り抜けるための道を与え、真理と偽りを見分ける霊的能力を高めてくれます。すると、神の御心にかなった生き方をする上で大切なことを心の軸にすることが、もっと容易になります。それは、人生が私たちにもたらすあらゆるものを耐え抜き、克服する助けとなるのです。

    毎日、神の言葉を読んで学ぶ時間を確保するのは簡単ではありません。それには自己鍛錬を要します。しかし、普段から聖書を読み、神と交わる時間を取ることは、私たちを霊的に強め、神の真理と愛に根差した、より強いクリスチャンへと成長させます。イエスは、「わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である」と言われました(ヨハネ6:63)。御言葉を読むことで築かれる神とのつながりは、他者との相互関係や、意思決定において御霊に導かれることを助け、日々の誘惑に直面しても強くあれるようにしてくれます。

    キリストにとどまりたいのなら、私たちは主とその言葉と共に過ごす時間を取る必要があります。常日頃から御言葉の水を心に深く吸収することによって、私たちは次第に新たにされ、変えられて、もっとイエスに似た者とされていくのです。私たちが読み、黙想した御言葉を実践することで、神の御心に沿った人生を生きるための恵みが与えられます。なぜなら、神の言葉は私たちの足の灯火であり、私たちの道の光だからです(詩篇119:105)。

    とどまることを学ぶ

    ヨハネ15章10節まで来ると、イエスにとどまるとはどういうことかがわかってきます。「わたしがわたしの父の戒めを守って、父の愛にとどまっているのと同じように、あなたがたもわたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっているのです」(新改訳2017)。 イエスにとどまるとは、イエスの戒めを守ることを意味し、その戒めを守るとは、心と精神と思いを尽くして神を愛し、自分自身のように隣人を愛することです(マタイ22:37–39)。神への愛を示すには、神への信頼と祈りと献身を通してそうするのが一つの方法です。私たちは関係を持つことで、とどまります。愛をもって追い求めます。愛をもって祈ります。愛をもって従います。

    そして、ここに良い知らせがあります。私たちがイエスを愛するのは、イエスがまず私たちを愛してくださったからなのです(1ヨハネ4:19)。 私たちが主を選んだのではありません。主に従順になって信仰の道を歩めるよう、主が私たちを選んでくださったのです(ヨハネ15:16)。キリストから離れては、私たちは何一つできません(ヨハネ15:5)。これはまた、キリストを追い求めて知るためには(そしてイエスが強調されたように隣人を愛するためには)、自分の力を振り絞らねばならないと思いこんで疲れ果ててしまった人にとっても、良い知らせです。恵みも力も、主が与えてくださるのです。…

    イエスは、友のために命を捨てることほど大きな愛はないと、私たちに思い起こさせておられます。そして、続けてこう言われたのです。「あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である」(ヨハネ15:13–14)。

    イエスは、愛せよというイエスの戒めに従うなら、私たちはイエスの友なのだと言われます(この言葉をちょっと噛み締めてみてください)。そして、その戒めは、「とどまる」ことによって全うされるのだと。… そして、イエスの友となれるというこの申し出、すなわち、私たちの信仰の創始者にして完成者、アルファでありオメガである方、美しいお方、私たちの罪と背きとを身に負われたお方、そんなお方の友となれるというこの申し出は、クリスチャンにとって非常に魅力的なものです。

    イエスにとどまりなさい。そうすれば、イエスもあなたの内にとどまってくださいます。あなたの内に良いわざを始められた方は、それを完成してくださいます(ピリピ1:6)。あなたを召された方は、真実です。必ずそれを成し遂げてくださるのです(1テサロニケ5:24)。—トリリア・ニューベル [3]

    「あなたがわたしにとどまり、わたしがあなたの内にとどまる」というこの原則は、神との関係やキリストとの歩みの土台であり、心と精神と思いを尽くして神を愛するという原則と関係しています。誰かを愛していれば、その人と時間を過ごしたいと思うものです。弟子は、イエスが歩まれたように歩むよう召されています。ヨハネの第一の手紙にはこうあります。「神のうちにとどまっていると言う人は、自分もイエスが歩まれたように歩まなければなりません」(1ヨハネ2:6 新改訳2017)。その方法とは、イエスが示された模範に従おうと努め、イエスの言葉と行動にある原則を学び、それを人生に適用することです。

    イエスは人間の姿となり、人間として生き、しかも罪なく完全にそうされたことで、私たちに模範を示してくださいました。ピリピ人への手紙には、「キリストは、神のかたちであられたが、… 僕のかたちをとり、人間の姿になられた」とあります(ピリピ2:6–7)。地上でのイエスの生涯は、神が人間として生きる姿そのものであり、まさに模範でした。「神は、ご自分の満ち満ちたものをすべて御子のうちに宿らせ」てくださったのです(コロサイ1:19 新改訳2017)。私たちの人生の手本として、イエスの生涯と教え以上に優れた模範があるでしょうか。これ以上のロールモデル、これ以上に優れた指針があるでしょうか。

    噛みしめるべき言葉

    「キリストにとどまる」という表現は、単に表面的な知り合い関係ではなく、親密で近しい関係を表しています。ヨハネ15章4–7節で、イエスはぶどうの木につながれた枝のたとえを用いて、弟子たちに、ご自身から命を得ることが不可欠だと語られました。救いによってもたらされる、この極めて重要なキリストとの結合がなければ、命も実りもないのです。—Got Questions [4]

    イエスの健全な弟子であるためには、神の言葉に養われることを最優先しなければなりません。イエスはそれを「とどまる」と表現されました。… 聖書の言葉を日々黙想することほど、あなたの人生を変え、イエスに似た者へと造り変えることのできる習慣はありません。神の真理を深く思い、キリストの模範に真剣に従うとき、私たちは「栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく」のです。—リック・ウォレン

    [キリスト]にとどまるとは、イエスの言葉を受け入れ、信じ、信頼することです。それは、御父とご自分の民に対するイエスの愛、そして、御父と私たちに対してイエスが抱いておられる喜びを受け入れることを意味します。—ジョン・パイパー

    聖書は何と言っているか

    「わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます」(1ヨハネ4:16 新共同訳)。

    「だれでも神のことばを守っているなら、その人のうちには神の愛が確かに全うされているのです。それによって、自分が神のうちにいることが分かります。神のうちにとどまっていると言う人は、自分もイエスが歩まれたように歩まなければなりません」(1ヨハネ2:5–6 新改訳2017)。

    「あなたがたは … 上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである」(コロサイ3:1–3)。

    とどまり続けるための祈り

    イエスさま、あなたがぶどうの木で、私がその枝であることを感謝します。日々あなたにとどまり、言葉と行いのすべてにおいて実を結べるよう助けてください。私は、あなたなしには何もできないことを知っています。そして、あなたの内に安らぐなら、父なる神に喜ばれる実を結ぶことができることも知っています。私はあなたとつながり、あなたの内に安らぎ、あなたにとどまり続けたいのです。アーメン。[5]


    1 K. A. Paul, Left for Dead (Encourager Media, 1997).

    2 Vera Christian, “How to Abide in Christ,” https://www.verachristian.com/connecting-the-dots/how-to-abide.

    3 Trillia Newbell, “Learning to Abide in Christ,” Desiring God, June 10, 2014, https://www.desiringgod.org/articles/learning-to-abide-in-christ

    4 “What Does It Mean to Abide in Christ?” GotQuestions.org, https://www.gotquestions.org/abide-in-Christ.html.

    5 “Prayers on Abiding in Jesus,” Knowing Jesus, https://prayer.knowing-jesus.com/Prayers-on-Abiding-in-Christ#.

     

  • 2月 1 第1コリント:第13章(1–13節)
  • 12月 30 第1コリント:第12章(12–30節)
  • 11月 11 第1コリント:第12章(1–11節)
  • 11月 4 弟子の生き方(パート2): 私たちの全存在をもって神を愛する
  • 10月 28 第1コリント:第11章(17–34節)
  • 9月 2 第1コリント:第11章(2–16節)
  • 8月 26 弟子の生き方: 前書き
  • 8月 19 第1コリント:第10章(16–33節)
  • 7月 29 第1コリント:第10章(1–15節)
   

信条

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