アンカー

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  • 愛とは

    What Does Love Mean?
    February 10, 2026

    引用文集

    オーディオ所要時間: 12:05
    オーディオ・ダウンロード(英語) (11MB)

    エペソ5:1–2によると、私たちはイエスがなさったように神にならい、自分の人生を神への捧げ物として差し出すことで、「愛のうちを歩く」ことになります。「こうして、あなたがたは、神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい。また愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。」

    ここエペソ5:2が語る「歩く」とは、私たちの行動や振る舞いを指しています。… イエスのように行動するとき、私たちは愛のうちを歩んでいるのです。この節で「愛」と訳されたギリシャ語の言葉は、「アガペー」です。アガペーとは、行動によって自らを証明する、犠牲的で利己的でない無条件の愛を指しています。… 神の性質、その本質は、無私の、犠牲的で無条件の愛なのです。…

    使徒パウロは、愛のうちを歩くとはどういうことかを、詳細に描写しています。「愛は忍耐強く、親切です。愛はねたまず、自慢せず、高ぶらず、礼儀に反することをしません。愛は自分のやり方を押し通そうとしません。いら立つことなく、人から悪いことをされても気に留めません。不正を喜ばず、いつでも真理が勝利する時に喜びます。愛は決してあきらめず、決して信仰を失わず、常に望みを抱き、どんな状況でも耐え抜きます」(1コリント13:4–7 英語NLT訳)。…

    私たちはキリストにあって自由ですが、その自由を「愛をもって互いに仕え」るために用います。なぜなら、「律法の全体は、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』というこの一句に尽きるからである」(ガラテヤ5:13–14)。… このように、心から神に倣い、犠牲をいとわずに神の神聖なアガペーを生きること、それこそが、「愛のうちを歩く」ということなのです。—GotQuestions.org [1]

    *

    イエスに従う者たちは、今日あちこちで噴出している怒りにどう応えるべきでしょうか。神の家族である教会は、イエスが命じられた「平和をつくり出す人」や「和解の務めを担う者」となるには、どうすればいいのでしょう。心や家庭のまわりに壁を築くのではなく、互いに橋を架けるには、どうしたらよいのでしょうか。第一歩は、イエスが愛されたように愛することです。

    ここに、そのための大切な方法をいくつか挙げましょう。

    尊厳。詩篇8:5には、神が「ただ少しく人を神よりも低く造って、栄えと誉とをこうむらせ」たとあります。これは、神がすべての人を尊厳ある存在として創造されたということを意味しています。他の人を愛するには、私たち皆が同じ尊厳を与えられていることを理解しなければなりません。尊厳は人に与えるものではありません。それは神から来るものです。私たちにできるのは、他の人の尊厳を否定するか、認めるかだけです。

    「規則を破ることではなく、神に仕えることで、あなたの自由を行使しなさい。出会うすべての人に、尊厳をもって接しなさい」(1ペテロ2:16–17 英語MSG訳)。

    コミュニティ。私たちは互いを必要とし、共にいるほうがより良くやれます。神は、私たちが孤独に、支えもなく人生を歩むことを意図されてはいません。…

    教会は団結とコミュニティの場であり、キリストの愛をこの世に示す模範となる場であるべきです。イエス・キリストに従う者である私たちは、兄弟姉妹です。私たちの最も大切なアイデンティティは神から来るものであり、それ以外のいかなる所属も天国へ持っていくことはできません。永遠へと持っていけるのは、神との関係と互いとの関係だけなのです。

    。私たちは、愛することを学ぶためにこの地上に置かれました。イエスが「最も大切な戒め」で語られたように、それは神を愛し、人を愛することに尽きます。… 私たちは、自分とは全く異なる人々と向き合い、耳を傾け、目を見つめ、学び合い、共に笑うとき、愛を運ぶ者となることができます。

    和解。イエス・キリストに従う者として、私たちは和解を促す者となるよう召されています。… マタイ5:9には、こうあります。「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。」—リック・ウォレン [2]

    *

    わたしの愛は変わることなく、終わりもない。それは豊かで、惜しみなく与えられ、満ちあふれている(詩篇103:8)。わたしは日々、さまざまな方法であなたへの愛を表している。あなたがそれを見るか、感じるか、気づくかどうかに関わらず、わたしの愛が変わることなく、豊かで、無条件であるという事実は変わらない。

    あなたはそれに値する者になったり、努力して手に入れたり、あなた自身その資格を持ったりすることはできない。なぜなら、わたしの愛は無償の贈り物だからだ。わたしがあなたを愛することをやめることは決してない。わたしは常に、完全で、尽きることのない、あふれる愛をもってあなたを愛し続ける。

    あなたへの愛は永遠の愛だ。あなたの人生の始まりから、わたしのまなざしはずっとあなたの上にあった。わたしは一歩一歩、あなたと共に歩んできた。あなたを見守り、気遣ってきた。あなたがわたしの視界から外れたことは一度もない。

    わたしはあなたの流す涙をすべて見ている。あなたのあらゆる叫びを聞いている。苛立ちも、不安も、重荷も、願いも、すべて理解している。あなたのことは何もかも知っている。求めているものも、足りないと感じているものも。わたしはあなたの心とその中にあるすべてを見て、あなたを深く愛している。

    重荷を負って、疲れ果てているときは、わたしのもとに来なさい。わたしが約束した休みを与えよう(マタイ11:28–29)。わたしはあなたを慰め、痛む心に愛の香油を注ぐ。すべての思い煩いと心配を祈りのうちに携えてくるとき、わたしはあなたの不安や恐れ、涙や苛立ちを静める。混乱の雲を吹き払い、張りつめた神経をやさしくなだめてあげよう。

    あなたへの愛は、永遠から永遠まで続く、決して終わらない愛だ(詩篇103:17)。どれほど深く暗い経験の中にあっても、どれほど濃い霧の中にいても、わたしはいつもあなたと共にいる。なぜなら、わたしはあなたを愛しているからだ。—イエス

    *

    4歳から8歳の子どもたちにとって、「愛」とは何なのでしょうか。少し立ち止まって、これを読んでみてください。

    あるとき、専門家たちが4〜8歳の子どもたちにこう質問しました。「愛って、どういうことだと思う?」 返ってきた答えは、誰も想像していなかったほど、広く、深く、そして心を打つものでした。

    「おばあちゃんが関節炎になって、もう自分で足の爪にマニキュアを塗れなくなったの。だからおじいちゃんが、いつも代わりに塗ってあげてるの。おじいちゃんの手も関節炎なのに。それって愛よね。」—レベッカ(8歳)

    「誰かが僕を愛していると、僕の名前の呼び方がちがうの。僕の名前が、その人の口の中で守られているって、ちゃんとわかるんだよ。」—ビリー(4歳)

    「愛って、女の子が香水をつけて、男の子がシェービングコロンをつけて、一緒に出かけて、くんくん匂いをかぎ合うこと。」—カール (5歳)

    「愛って、外で食事をするとき、自分のフライドポテトをたくさん分けてあげること。相手のをもらわなくてもね。」—クリッシー (6歳)

    「愛って、疲れてるときでも笑顔にしてくれるもの。」—テリー (4歳)

    「愛ってね、ママがパパにコーヒーを淹れてあげるとき、先に一口飲んで味見してから渡すこと。」—ダニー (8歳)

    「愛って、クリスマスの日にプレゼントを開けるのをやめて、ただ耳をすませたときに、その部屋の中にあるもの。」—ボビー (7歳)

    「愛って、男の子に『そのシャツいいね』って言ったら、その子が毎日それを着るようになること。」—ノエル (7歳)

    「愛って、長いこと一緒にいて、お互いのことを全部知ってても、ずっと友だちでいられる、おじいさんとおばあさんみたいなもの。」—トミー (6歳)

    「ピアノの発表会で、ステージに立ったとき、すごく怖かったの。でも客席を見たら、パパが手を振って笑ってくれてた。パパだけがそうしてくれてたの。そしたら、もう怖くなくなった。」—シンディ (8歳)

    「ママは、誰よりもわたしを愛してる。夜、寝るときにキスしてくれるのは、ママだけだもん。」—クレア (6歳)

    「愛って、ママがパパに、チキンのいちばんいいところをあげること。」—エレイン (5歳)

    「愛って、ママが、臭くて汗だくのパパを見ても、ロバート・レッドフォードよりハンサムだって言うこと。」—クリス (7歳)

    「愛って、犬を一日中ひとりでお留守番させても、帰ってきたら顔をペロペロなめてくれること。」—メアリー・アン (4歳)

    「おねえちゃんは私を愛してるの。だって、自分のお下がりを全部くれるから、新しいのを買いに出かけないといけなくなるの。」—ローレン (4歳)

    「愛って、ママが、トイレに座ってるパパを見ても、ゲッて思わないこと。」—マーク (6歳)

    「『愛してる』って、本気じゃないなら言わないほうがいいよ。でも本気なら、たくさん言ったほうがいい。人は忘れちゃうから。」—ジェシカ (8歳)

    そして、次に挙げる最後の答えには一番心を打たれます。近所に住むお年寄りの男性が奥さんを亡くして泣いているのを見た、4歳の男の子がいました。男の子はその人の庭に入り、膝の上によじ登って、ただ黙ってそこに座りました。あとで母親が、「何をおじさんに話してあげたの?」と聞くと、男の子はこう答えました。「なにも。泣くのを手伝っただけ。」—著者不詳

    2026年2月アンカーに掲載 朗読:レノア・ウェルシュ 音楽:ジョン・リッスン


    1 “What does it mean to walk in love (Ephesians 5:2)?” Gotquestions.org, https://www.gotquestions.org/walk-in-love.html

    2 Rick Warren, “Loving Like Jesus in a Fractured World,” Pastors.com, https://blog.pastors.com/articles/loving-like-jesus-in-a-fractured-world/

  • 2月 24 永遠にわたる驚異
  • 2月 20 神の導きに従う
  • 2月 16 塩となれ、光となれ
  • 2月 12 キリスト教が及ぼした影響: 労働と科学的発見
  • 2月 8 人生の季節を受け入れる
  • 2月 4 どんな状況にあっても感謝
  • 1月 31 良き知らせを広める
  • 1月 27 わたしを見ておられる神
  • 1月 23 ゴールラインを越えるまで
   

ディレクターズ・コーナー

信仰を築く記事と聖書研究

  • 弟子の生き方(パート3): キリストにとどまる

    [The Life of Discipleship, Part 3: Abiding in Christ]

    September 16, 2025

    キリストにとどまることは、弟子としての歩みにおいて重要な要素です。それには、自分の全存在をもって神を愛し、御言葉を学んでそれにとどまり、その原則に従って人生を整え、イエスの教えと手本に従うことが含まれます。

    イエスは死の前夜、告別説教の中で、イエスにとどまる必要性と、その結果として得られる祝福や益について、弟子たちに語られました。ご自身と密接なつながりを保つことの重要性と、そうすることで私たちは実を結ぶようになるのだということを、強調されたのです。弟子は実を結ぶように定められており、そうすることによって神は栄光をお受けになるのだと、イエスはヨハネ15章で説明しておられます。

    わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです (ヨハネ15:4–5, 8 新改訳2017)。

    イエスはさらに、ご自分を愛することと戒めを守ることとの関連性や、ご自身にとどまっていることで与えられる祝福と喜びを明らかにされました。

    父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。わたしがわたしの父の戒めを守って、父の愛にとどまっているのと同じように、あなたがたもわたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっているのです。わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたが喜びで満ちあふれるようになるために、わたしはこれらのことをあなたがたに話しました (ヨハネ15:9–11 新改訳2017)。

    もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう (ヨハネ14:23)。

    イエスは、「もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである」と言って(ヨハネ14:15)、主への愛と、主の教えへの従順とを、明確に結びつけられました。この箇所で「守る」と訳されているギリシャ語は、「注意深く従う、遵守する」、という意味です。つまり、私たちがイエスを愛するなら、イエスの教えを守り、それに従い、その原則を自分の生活に適用するということです。イエスへの愛は、イエスの言葉を守り、実践し、その原則に基づいて生活する姿に現れます。

    ヨハネの福音書には、イエスの言葉の内にとどまることが、弟子であることの決定的な要素だと記されています。「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである」、とイエスが言われたとおりです(ヨハネ8:31)。もっとも、イエスの厳しい教えの中には、口で言うほど簡単ではないものもあります。たとえば、「自分の十字架を負うてわたしについて来るものでなければ、わたしの弟子となることはできない」(ルカ14:27)や、その数節後の「自分の財産をことごとく捨て切るものでなくては、わたしの弟子となることはできない」(ルカ14:33)といった言葉です。

    イエスはこれらの聖句で、神の召命に耳を傾け、神に従い、神の御心を行うことが何よりも重要である、という霊的な原則を示されました。私たちに、人生のすべてを主に捧げ、救いについて主だけを信頼し、その上で弟子として主に従う事を求めておられるのです。イエスが「わたしについて来なさい」と言われるとき、ついてくるようあなたに呼びかけておられるその道は、あなたにとっての弟子の道です。それは、固有の道であって、イエスについて行く者一人ひとりに、それぞれ他とは異なる道が与えられています。ここで原則となっているのは、弟子は神に属しており、その忠誠は第一に神に捧げられるものだということ、そして、心と精神と思いを尽くして神を愛し、神に従うということです。

    主は全員に同じ形の奉仕や同じ弟子の資質が現れることを求めないし、主の子どもたち全員に同じコミットメントや犠牲を求めたりされません。歴史を通じて、異なる状況下で主のために偉大な仕事をした人々の例はたくさんあります。海外の宣教地、政府、事業、裕福な家庭、病床、貧困、物理的に切迫した状況などにいた人もいれば、教壇に立った人、世界的に有名だった人、そして多くの陰の英雄がいます。クリスチャンとしてのコミットメントと弟子の資質を示すテスティモニーに共通した、私たちを発奮させ、意欲を高めてくれることとは、イエスへの愛と主の召しへの忠実さです。

    主が私たち一人ひとりを、どんな形で主に従い仕えるよう求められるとしても、「イエスにとどまる」という原則は、イエスとの永続的な関係を絶えず育んでいくことを指します。イエスは弟子たちに、ご自身の内にとどまり、イエスの言葉を彼らの内にとどまらせ、教えに従うよう求められました。そして、そうするとき、私たちはイエスの愛の内にとどまって実を結ぶようになり、弟子である私たちに主が与えてくださる喜びが私たちの内にとどまるのです。

    単なるコーヒーブレイク以上のもの

    イエスは、私たちがご自身の内にとどまっているべきだと言われました。イエスから離れては、私たちは何もできないからだと(ヨハネ15:4–5)。私たちの多くは、イエスとの「コーヒーブレイク」なら喜んでとろうとしますが、「とどまる」とは、そういった短い訪問以上の意味を持ちます。「とどまる」と訳された言葉は、ギリシャ語の原語では「住む、存続する」という意味です。… 神の臨在の内にとどまるとき、神は御心をさらに明らかにしてくださいます。ご自身について、またあなたの人生に対する計画と目的について、より深い啓示を与えてくださるのです。…

    [私たちは、]人生の最優先事項として、神に自分を捧げる[必要があります]。仕事から、無益なことで時間をつぶす行為(例えば、テレビの前で何時間も過ごすこと)に至るまで、そういった私たちの気を散らすものを脇に置くとき、神は私たちの霊的な力を増し加えてくださいます。主の御前を歩むなら、神はあなたを霊的に強健にしてくださるのです。イザヤもこう書いています。「しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない」(イザヤ40:31)。—K・A・ポール [1]

    つながる

    J・C・ライルは、キリストにとどまることを、「主との絶え間ない親密な交わりの習慣」と表現しています。細胞が癒合して、ぶどうの木にしっかり接着するまで、接ぎ木された枝がテープで人為的に固定される必要があるように、こうした習慣も、最初は不自然に感じられるかもしれません。

    しかし、そういった習慣そのものではなく、その目的である「命の源であるキリストにとどまり、つながっている」ことに焦点を合わせていれば、時間とともにより自然にできるようになり、生涯にわたるキリストとの結びつきを育むことになります。

    この習慣には、以下のようなものがあります。

    • 御言葉を通して語られる神の声に耳を傾け、神とつながること。
    • 祈りを通して御言葉に応答し、神と交わること。
    • 私たちへの神の大きな愛を思い出させる福音の真理を、繰り返し心に刻むこと。
    • あらゆる状況で神を必要としていることを、常に意識すること。
    • 自力で問題を解決しようとする誘惑に駆られるときに、神を信頼すること。
    • 神の道が自分の道と異なって見えるときにも、罪を避けることであれ、善を追い求めることであれ、従順に神に従うこと。
    • 大勢の聖徒たちと共に、忍耐を貫き、救い主に目を留めつつ、競走を走り抜くこと(ヘブル12:1–2)。—ベラ・クリスチャン [2]

    神の言葉にとどまる

    イエスにとどまることについて、大切な要素とは、御言葉を読み、学び、黙想し、暗記することです。神は、聖書を通してご自身を私たちに啓示されました。私たちは聖書に書かれたことから、神について、また、人類に対する神の愛や私たちのための救いの計画について、学びます。神は、私たちへの愛を語り、不完全で限界のある存在である私たちがどのように神との関係を築けるかを示しておられます。聖書を読むことで、私たちはイエスの教えに耳を傾け、その愛の模範を見ます。そして、私たちのために捧げられたイエスの犠牲により、生まれ変わって神の子どもとなるよう促されます。

    御言葉にとどまればとどまるほど、また、御言葉を私たちの内にとどまらせればとどまらせるほど、どうすれば御心に従って神とその愛を映し出す生き方ができるかについて理解が深まり、学びと成長が進みます。毎日、聖書やデボーション資料を読むために時間を取ることで、私たちは読んだものを通して主に語っていただき、主の教えと導きを受け取り、人生の問題や困難を切り抜けるための助けを得られるようになるのです。御言葉は、私たちが従うべき道徳的規範を知らせ、決断すべきときに導きを与えてくれます。

    御言葉にとどまるにつれ、主が私たち一人ひとりに与えられた価値と、すべての人間に対して抱いておられる愛と憐れみに、ますます気づくようになります。聖書に書かれた真理を吸収して、日々の生活に適用するにつれ、私たちは人生の錨を主の内に下ろすようになります。そして、イエスが語られたたとえ話に出てくる、岩の上に家を建てた賢い人のようになるのです。雨が降り、風が吹いて家に打ち付けても、その家は倒れませんでした。岩を土台としていたからです。イエスはこのたとえの要点を、次のように語っておられます。「わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう」(マタイ7:24–27)。

    神が御言葉の中で私たちに語られたことを読む時間を毎日取ることは、日々押し寄せる情報とインプットの渦を無事通り抜けるための道を与え、真理と偽りを見分ける霊的能力を高めてくれます。すると、神の御心にかなった生き方をする上で大切なことを心の軸にすることが、もっと容易になります。それは、人生が私たちにもたらすあらゆるものを耐え抜き、克服する助けとなるのです。

    毎日、神の言葉を読んで学ぶ時間を確保するのは簡単ではありません。それには自己鍛錬を要します。しかし、普段から聖書を読み、神と交わる時間を取ることは、私たちを霊的に強め、神の真理と愛に根差した、より強いクリスチャンへと成長させます。イエスは、「わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である」と言われました(ヨハネ6:63)。御言葉を読むことで築かれる神とのつながりは、他者との相互関係や、意思決定において御霊に導かれることを助け、日々の誘惑に直面しても強くあれるようにしてくれます。

    キリストにとどまりたいのなら、私たちは主とその言葉と共に過ごす時間を取る必要があります。常日頃から御言葉の水を心に深く吸収することによって、私たちは次第に新たにされ、変えられて、もっとイエスに似た者とされていくのです。私たちが読み、黙想した御言葉を実践することで、神の御心に沿った人生を生きるための恵みが与えられます。なぜなら、神の言葉は私たちの足の灯火であり、私たちの道の光だからです(詩篇119:105)。

    とどまることを学ぶ

    ヨハネ15章10節まで来ると、イエスにとどまるとはどういうことかがわかってきます。「わたしがわたしの父の戒めを守って、父の愛にとどまっているのと同じように、あなたがたもわたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっているのです」(新改訳2017)。 イエスにとどまるとは、イエスの戒めを守ることを意味し、その戒めを守るとは、心と精神と思いを尽くして神を愛し、自分自身のように隣人を愛することです(マタイ22:37–39)。神への愛を示すには、神への信頼と祈りと献身を通してそうするのが一つの方法です。私たちは関係を持つことで、とどまります。愛をもって追い求めます。愛をもって祈ります。愛をもって従います。

    そして、ここに良い知らせがあります。私たちがイエスを愛するのは、イエスがまず私たちを愛してくださったからなのです(1ヨハネ4:19)。 私たちが主を選んだのではありません。主に従順になって信仰の道を歩めるよう、主が私たちを選んでくださったのです(ヨハネ15:16)。キリストから離れては、私たちは何一つできません(ヨハネ15:5)。これはまた、キリストを追い求めて知るためには(そしてイエスが強調されたように隣人を愛するためには)、自分の力を振り絞らねばならないと思いこんで疲れ果ててしまった人にとっても、良い知らせです。恵みも力も、主が与えてくださるのです。…

    イエスは、友のために命を捨てることほど大きな愛はないと、私たちに思い起こさせておられます。そして、続けてこう言われたのです。「あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である」(ヨハネ15:13–14)。

    イエスは、愛せよというイエスの戒めに従うなら、私たちはイエスの友なのだと言われます(この言葉をちょっと噛み締めてみてください)。そして、その戒めは、「とどまる」ことによって全うされるのだと。… そして、イエスの友となれるというこの申し出、すなわち、私たちの信仰の創始者にして完成者、アルファでありオメガである方、美しいお方、私たちの罪と背きとを身に負われたお方、そんなお方の友となれるというこの申し出は、クリスチャンにとって非常に魅力的なものです。

    イエスにとどまりなさい。そうすれば、イエスもあなたの内にとどまってくださいます。あなたの内に良いわざを始められた方は、それを完成してくださいます(ピリピ1:6)。あなたを召された方は、真実です。必ずそれを成し遂げてくださるのです(1テサロニケ5:24)。—トリリア・ニューベル [3]

    「あなたがわたしにとどまり、わたしがあなたの内にとどまる」というこの原則は、神との関係やキリストとの歩みの土台であり、心と精神と思いを尽くして神を愛するという原則と関係しています。誰かを愛していれば、その人と時間を過ごしたいと思うものです。弟子は、イエスが歩まれたように歩むよう召されています。ヨハネの第一の手紙にはこうあります。「神のうちにとどまっていると言う人は、自分もイエスが歩まれたように歩まなければなりません」(1ヨハネ2:6 新改訳2017)。その方法とは、イエスが示された模範に従おうと努め、イエスの言葉と行動にある原則を学び、それを人生に適用することです。

    イエスは人間の姿となり、人間として生き、しかも罪なく完全にそうされたことで、私たちに模範を示してくださいました。ピリピ人への手紙には、「キリストは、神のかたちであられたが、… 僕のかたちをとり、人間の姿になられた」とあります(ピリピ2:6–7)。地上でのイエスの生涯は、神が人間として生きる姿そのものであり、まさに模範でした。「神は、ご自分の満ち満ちたものをすべて御子のうちに宿らせ」てくださったのです(コロサイ1:19 新改訳2017)。私たちの人生の手本として、イエスの生涯と教え以上に優れた模範があるでしょうか。これ以上のロールモデル、これ以上に優れた指針があるでしょうか。

    噛みしめるべき言葉

    「キリストにとどまる」という表現は、単に表面的な知り合い関係ではなく、親密で近しい関係を表しています。ヨハネ15章4–7節で、イエスはぶどうの木につながれた枝のたとえを用いて、弟子たちに、ご自身から命を得ることが不可欠だと語られました。救いによってもたらされる、この極めて重要なキリストとの結合がなければ、命も実りもないのです。—Got Questions [4]

    イエスの健全な弟子であるためには、神の言葉に養われることを最優先しなければなりません。イエスはそれを「とどまる」と表現されました。… 聖書の言葉を日々黙想することほど、あなたの人生を変え、イエスに似た者へと造り変えることのできる習慣はありません。神の真理を深く思い、キリストの模範に真剣に従うとき、私たちは「栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく」のです。—リック・ウォレン

    [キリスト]にとどまるとは、イエスの言葉を受け入れ、信じ、信頼することです。それは、御父とご自分の民に対するイエスの愛、そして、御父と私たちに対してイエスが抱いておられる喜びを受け入れることを意味します。—ジョン・パイパー

    聖書は何と言っているか

    「わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます」(1ヨハネ4:16 新共同訳)。

    「だれでも神のことばを守っているなら、その人のうちには神の愛が確かに全うされているのです。それによって、自分が神のうちにいることが分かります。神のうちにとどまっていると言う人は、自分もイエスが歩まれたように歩まなければなりません」(1ヨハネ2:5–6 新改訳2017)。

    「あなたがたは … 上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである」(コロサイ3:1–3)。

    とどまり続けるための祈り

    イエスさま、あなたがぶどうの木で、私がその枝であることを感謝します。日々あなたにとどまり、言葉と行いのすべてにおいて実を結べるよう助けてください。私は、あなたなしには何もできないことを知っています。そして、あなたの内に安らぐなら、父なる神に喜ばれる実を結ぶことができることも知っています。私はあなたとつながり、あなたの内に安らぎ、あなたにとどまり続けたいのです。アーメン。[5]


    1 K. A. Paul, Left for Dead (Encourager Media, 1997).

    2 Vera Christian, “How to Abide in Christ,” https://www.verachristian.com/connecting-the-dots/how-to-abide.

    3 Trillia Newbell, “Learning to Abide in Christ,” Desiring God, June 10, 2014, https://www.desiringgod.org/articles/learning-to-abide-in-christ

    4 “What Does It Mean to Abide in Christ?” GotQuestions.org, https://www.gotquestions.org/abide-in-Christ.html.

    5 “Prayers on Abiding in Jesus,” Knowing Jesus, https://prayer.knowing-jesus.com/Prayers-on-Abiding-in-Christ#.

     

  • 2月 1 第1コリント:第13章(1–13節)
  • 12月 30 第1コリント:第12章(12–30節)
  • 11月 11 第1コリント:第12章(1–11節)
  • 11月 4 弟子の生き方(パート2): 私たちの全存在をもって神を愛する
  • 10月 28 第1コリント:第11章(17–34節)
  • 9月 2 第1コリント:第11章(2–16節)
  • 8月 26 弟子の生き方: 前書き
  • 8月 19 第1コリント:第10章(16–33節)
  • 7月 29 第1コリント:第10章(1–15節)
   

信条

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第1・第2テサロニケ
パウロがテサロニケの信徒に宛てた書簡の研究と、その教えがいかに現在に当てはめられるか
そのすべての核心にあるもの
キリスト教信仰・教義の基本を扱ったシリーズ