The God Who Sees Me
June 8, 2021
引用文集
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「彼女は、自分に語りかけた主の名を、『あなたは、わたしを見ておられる神』と呼んだ。それは、彼女が、『わたしは今、自分を見ておられる方を見た』と言ったからである」(創世記16:13 英語NIV訳)。
人生には、この世界から忘れ去られてしまったかのように感じる瞬間もあるかもしれません。しかし、私たちを見守ってくださる神がおられることを知るとき、慰めを見いだすことができます。
旧約聖書のハガルの物語にも同じことが言えます。ハガルは故郷を離れ、つかえめとなった女性でした。苦境の中、彼女はアブラハムとサラの家から逃げ出します。彼女の体はそこで、二人の跡継ぎを産むという代理出産のために捧げられたのです。
この世にはもはや自分にとって良いものは何も残っていないとハガルが感じたとき、聖書は、主の使いが荒野の泉のそばで彼女を見つけ、慰めたと伝えています。その使いは彼女にこう言いました。「あなたは女主人のもとに帰って、その手に身を任せなさい。… わたしは大いにあなたの子孫を増して、数えきれないほどに多くしましょう」(創世記16:9–10)。
神は、私たちの内なる世界を見ておられ、私たちは皆、誰かに見られ、存在を認められたいという根源的な必要を持っていることをご存じです。ハガルのように、信仰の目を通して見るとき、私たちは毎日一瞬一瞬、私たちを見ておられる神に出会うのです。神はご自分が造られたものすべてを見守っておられます。私たちが天の父の愛に満ちたまなざしのもとにあるのだと知る時、私たちの視点は真に変わるのです。神は私たちを見ておられる、それを優しく思い起こさせてもらうことを、私たちは皆必要としています。
カデシとベレデの間でハガルが天使と出会った井戸が「ベエル・ラハイ・ロイ」と呼ばれるのはこのためで、それは「私を見ておられる生ける方の井戸」を意味します。私たちが神をどのような名で呼ぶかは、神の性質と同じくらい、私たち自身の必要を映し出します。私たちはその必要を通して、最も深い形で神を体験するのです。ハガルが荒野で見いだしたのは、神は私を見ておられる、私の名を知っておられる、私が誰であるかをご存じである、ということでした。ハガルは今や、憐れみをもって自分に向き合ってくださる、親密で個人的な神に出会ったのです。
魂の最も暗い夜にあっても、私たちは直面する苦難の中にあって決してひとりではありません。ハガルと同じように、私たちも、自分を見ておられる神がおられることによって、慰めと安らぎを見いだすことができるのです。—ブレット・マクブライド
ハガルが教えてくれたこと
ハガルについては、子どもの頃にイラスト付きの聖書を色々と読んでいたので、基本的な知識は持っていました。しかし今年、聖書を最初から最後まで通して読むことを決めてから、彼女の物語を読んだ時、神が私たち一人ひとりをどれほど個人的に愛しておられるかについて、新しい視点を与えられました。
ハガルはアブラハムの妻サラに仕えるエジプト人のつかえめでした。彼女はアブラハムと神との契約の物語の中で、どちらかといえば脇役のような存在として登場します。神はアブラハムに、星のように数えきれないほどの子孫を与えると約束されていましたが、サラはなかなか妊娠せず、その約束が実現しないことに焦りを募らせていきます。そこでサラはアブラハムに、つかえめであるハガルと寝るよう求めました。
アブラハムはそれに同意し、ハガルは間もなく妊娠します。アブラハムの子を身ごもったと知ったとき、彼女は状況が好転し始めたと感じたことでしょう。見知らぬ民の中で生きる自分にとって、ようやく自分の居場所や価値を見いだせると思ったかもしれません。また、聖書が彼女は「女主人を見下げるようになった」と伝えているように、いい気味だとほくそ笑み始めたのかもしれません(創世記16:3–4)。
そのことを訴えるサラに対して、アブラハムは、ハガルのことはサラに任せるので、好きなようにしてよいと告げます。サラが何をしたのかはわかりませんが、それは妊娠中のハガルが荒野へ逃げ出してしまうほどのものでした。次に私たちが目にするハガルの姿は、荒野の泉のほとりに座り、喉の渇きを潤しているところです(創世記16:5–7)。
ここからが、この物語で私が特に好きな部分です。神は、逃げ出したこの若い女性を見つけ出すために、天使を遣わし、彼女を説得してアブラハムの宿営へ戻るよう説得させられました。彼女は、誰の目にも取るに足りない存在だと感じていたに違いありません。望まれても愛されてもいないと感じていたことでしょう。自己中心的で欠点や失敗を抱えた女性、ヘブライ人ではなくエジプト人で、以前の習慣やエジプトの神々への信仰をまだ捨てきれていなかったであろう女性、女主人を軽んじ、憐れみを受ける資格などないと思われるような女性、そしてこれからもきっと、さらに失敗を重ねていくであろう女性だと。
その荒野で、そして罪と絶望のただ中で、神はハガルに現れます。なぜなら、状況や選択、欠点や失敗といった幾重もの層の奥には、神が命の息を吹き込まれた被造物の心が脈打っていたからです。神が御使いを遣わしてこの少女を探し出されたとき、神が見ておられ、救おうとされたのは、まさにそれでした。神は彼女が生まれる前からその存在を心に思い描き、その生涯の物語はこうして聖書に記されているのです。
あの荒野で天使と出会うという一度の体験は、ハガルが家へ戻る勇気を得るのに十分なものでした。しかし戻る前に、彼女は自分を探し出し、語りかけてくださった神に名前をつけます。彼女はその神を、「わたしを見ていられる方」と呼びました(創世記16:13)。
私たちは皆、神に見ていただく価値などないと感じる時があります。しかし、最も愛されるに値しないと感じているときに、それでもなお神が働きかけ、「あなたは価値ある存在だ」と語ってくださるとき、人は変えられるのです。その日、神がハガルになさったのがまさにそれでした。神は彼女を気にかけ、見守り、その人生を導いておられることを示されました。それこそが神に見られていることの力なのです。この力が、ほんの数日前には耐えられないと感じていた状況へと戻るための内なる強さを、ハガルに与えたのです。
この物語の好きなところはたくさんありますが、特に3つの点を挙げたいと思います。
第一に、神にとって脇役は存在しないということです。聖書の物語としては、ハガルの話は1~2章分にまとめられ、アブラハムとサラという主役の人生を支える存在として描かれているように見えるかもしれません。しかし神は、ハガルの名が記された書物を持っておられます。それは彼女の生涯の物語で、その主役は彼女自身なのです。同じことが、自分は誰か他の人の物語の中で脇役にすぎない、と感じているすべての人にも言えます。
第二に、神はあなたの人生の中で最も見苦しく、最も落ち込んだ瞬間をご存じでありながら、それでもなおあなたを信じておられるということです。その認識がハガルに、神が彼女を置かれた困難な状況へと戻る力を与えました。今あなたがどこにいて、霊的・肉体的にどのような状態であろうと、あなたを見守り、信じておられる神がおられるのです。
第三に、ハガルが逃げ出したとき、神ご自身が彼女を探しに行かれたという点です。神はあなたの感情的・肉体的な状態を、そして地理的にどこにいるかさえも、ご存じであり、神の愛からあなたを引き離せるものなどありません。神はあなたを追いかけ、見つけ出し、再び立ち上がらせてくださいます。
ハガルの物語は、現代の私たちにも通じるものです。人生のどの段階にいようと、どのように感じていようと、あなたを見ている神がおられます。そして、この地上の何ものも(あなたの過ちさえも)、このような神からあなたを引き離すことはできません。使徒パウロがこう言ったとおりです。「わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである」(ローマ8:38–39)。—ロアルド・ワターソン
神はあなたの名を知っておられる
サラやアブラハムが会話の中でハガルのことに触れるとき、彼女はただ「私のつかえめ」「あなたのつかえめ」と呼ばれていました(創世記16:2, 5-6)。… それがハガルにとって、どれほど心を打ちのめすものであったか、想像に難くありません。
しかし、神が井戸のそばでハガルを見つけたとき、最初に口にされた言葉は「ハガル」でした(創世記16:8)。[1] この物語のこの時点まで、ハガル自身が神を知っていたかどうかは分かりませんが、神は確かに彼女を知っておられました。実際、神は彼女の名を知っておられ、その名を呼ぶことで彼女に尊厳を与えられたのです。
あなたについても同じです。神はあなたの名を知っておられます。神の大切な子として、神は一匹一匹の「羊」を名によって知っておられます(ヨハネ10:3)。そして、あなたの名は知られているだけでなく、神の手のひらに「彫り刻まれて」いるのです(イザヤ49:16)。彫り刻まれるということは、ただ書き記される以上の意味を持ちます。それは、神の手のひらに「切り込まれ、彫り込まれている」ということであり、消されることのない永続性を示しています。
さらに、もしあなたがキリストにあるなら … あなたの名は命の書に記されているので、永遠に残るものとなっています。新しく生まれた信者として、あなたの尊い名はいまや永遠のものなのです。…
スティーブン・アルトロッグは次のように記しています。「イエスは私たちを完全に知っておられます。… 私たちの隅々まで知り尽くしておられます。私たち自身よりも、私たちのことをよく知っておられるのです。そしてイエスは、深く個人的なレベルで苦しみを知っておられます。… うなだれた私たちのもとに来て、恵みを注いでくださるのです。」
私が大好きなのは、エル・ロイ[神]がハガルのもとに来てくださったという事実です。神は彼女を探し出し、最も必要としていたその瞬間に現れてくださいました。そのとき彼女に必要だったのは、自分が見てもらっていること、愛されていること、忘れられていないこと、そして自分と胎内の子ども(神が自ら名を与えられた男の子であり、これもまた神がハガルに示された特別な祝福でした)が守られるという確信でした。
「あわれみ深き父、慰めに満ちたる神」(2コリント1:3)として、神はハガルの不安を和らげ、傷つき疲れた彼女の心を支えられました。ハガルに対してそうであったように、神はあなたにも、「決してあなたを見放さず、またあなたを見捨てない」(申命記31:6)と約束しておられます。あなたが最も助けを必要とするときにこそ、神は恵みと憐れみを豊かに注いでくださるのです(ヘブル4:14–16)。
神は、あなたが今まさに何を経験しているのかを正確に見ておられます。なぜなら、ハガルの言葉を借りるなら、「あなたは[エル・ロイ]、わたしを見ておられる方です。まことに、ここでわたしは、自分を顧みてくださる方を見たからです」(創世記16:13 英語ESV訳)。—デニス・コールマイヤー [2]
2021年6月アンカーに掲載 朗読:ジョン・マーク 音楽:マイケル・ドーリー
1 訳注:日本語訳の聖書では「サライのつかえめハガル」などと訳されていますが、ヘブライ語原文では「ハガル」と名前で呼ばれ、その後に「サライのつかえめ」と続きます。
2 https://unlockingthebible.org/2019/08/hagar-el-roi-god-sees.