• 主の喜びは私たちの力

  • 絶えず祈り、常に感謝しよう

  • 天地が滅びても、私の言葉は滅びない

  • 神のおられるところに愛がある (1ヨハネ4:7-8)

  • 神はこの世のすべての人を愛してくださった

アンカー

ユーザーフレンドリーなデボーション記事

  • ストレスを乗り越える

    Rising Above Stress
    September 30, 2021

    引用文集

    オーディオ所要時間: 11:56
    オーディオ・ダウンロード(英語) (10.9MB)

    「歴史家たちは、おそらく私たちの時代を『不安の時代』と呼ぶようになるでしょう。私たちの望みが、神と、私たちへの神の御心以外のものに置かれるとき、不安が生じるのは当然のことです。」 ビリー・グラハムが1965年にこの言葉を記したとき、50年後にそれがいかに的中することになるか、だれも予想していませんでした。

    不安は、一番ましな場合でも、私たちを神との関係から遠ざけ、神が「天地の主」(マタイ11:25)であるという真理から目をそらさせます。そして最悪の場合、不安は私たちを蝕む病となって、心を支配し、思いを闇の中に突き落としてしまいます。

    しかし、神が私たちに望んでおられるのは、恐れや心配や不安だらけの人生よりもはるかに素晴らしいものです。

    「何事も思い煩ってはならない。」 聖書はピリピ4章で、そう告げています。「ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。」

    私たちへの指示は、それで終わりではありません。この章はさらに、クリスチャンが何に心を向けるべきかを、具体的に教えています。それは、恐れでもテロでもなく、病気や死や悪でもありません。

    「最後に、兄弟たちよ。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。あなたがたが、わたしから学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことは、これを実行しなさい。そうすれば、平和の神が、あなたがたと共にいますであろう」(ピリピ4:8–9 強調は筆者)。

    心を不安のない状態にするための第一歩は、人生をイエス・キリストに捧げることです。その一歩を踏み出した後は、イエスに思いを向け、イエスがご自身に従う者たちのために天に場所を用意しておられるという約束(ヨハネ14:2–3)を心に留めておくことが大切です。—ビリー・グラハム伝道協会 [1]

    ストレスの解毒剤

    ストレスは、喜びを奪う大きな要因で、主はそれから私たちを解放したいと願っておられます。ストレスは、放置しておくと健康や体力を損なう恐れがあります。また、深刻な不幸感、病気、さらには死の要因にもなります。最近のニュース記事によると、先進国における受診の75〜90%が、直接的または間接的にストレスに起因するということです。

    突き詰めて言えば、信仰こそがストレスの解毒剤なのです。神への信仰と信頼があるなら、つまり、すべては神の御手の内にある、そして、神が主権を持っておられ、最終的に万事を働かせて益となるようにしてくださる、と信じるなら、多くのストレスは自然と私たちの人生から取り除かれていきます。

    よくある誤解は、ストレスを「一生懸命働くこと」と同一視したり、忙しい生活ではある程度のストレスは避けられないと感じたりすることです。しかし、そうである必要はありません。次のようにすれば、一生懸命働きながらもストレスを感じずに過ごすことができます。

    * バランスの取れた生活を保つ。働くべきときは働き、休むべきときは休み、何よりも、主と過ごす時間を神聖なものとして守るのです。いつもより余計に忙しい時期を経験し、休息をいくらか削らざるを得ないとしても、そのプロジェクトや期間が終わったら、必ずペースをもとに戻すようにしましょう。いつまでも同じペースを続けたり、「もう少しだけ」と無理したりしてはいけません。そういうことをしていると、速いペースへの依存という不健康な状態になりかねないのです。

    * 重荷は主に負っていただく。主があなたに求めておられる務めに取り組み、自分の役目を果たしましょう。ただ、その役目を正しく捉えることが大切です。あなたの役目は、あらゆる問題を解決し、すべてを成し遂げることではありません。すべてを主に委ね、重い荷は主に担っていただくのです。

    あまりにも長く重荷を負い続けていると、それはいずれストレスの原因となります。しかし、ストレスの多い状況にあるからといって、必ずしもストレスを感じる必要はありません。状況にどう反応するかは、あなた自身が選べるのです。霊の内で、重荷を下ろすことを学びましょう。

    ストレスに屈しないためのバランスとは、主がすべてを支配しておられ、主のタイミングこそが最善であることを心に留め、自分で重荷を背負うのではなく、それを主の力強い肩にいかに効果的に委ねられるかを見極めつつ、主への強い信仰と信頼を持っていることです。本来、あなたが自分ひとりで重荷を背負うようには、定められていません。

    一度で完全にストレスに打ち勝つことは、ありえません。私たちは人間であり、物事にストレスを感じるのはごく自然なことだからです。しかし、ストレスがやって来るたびに、それを主への信頼に置き換えることで、信仰と平安がもたらされるので、そのようにストレスを乗り越えていくことができます。主はこう約束されました。「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」(マタイ11:28–30)。—マリア・フォンテーン

    対ストレス戦略

    私たちは、なぜストレスを感じるのでしょうか。その原因は数えきれないほどあります。ストレスの主な要因として、仕事、経済状況、人間関係、健康、そしてメディアによる情報過多が挙げられます。では、聖書的な観点から言って、ストレスにどう対処すればよいのでしょうか。クリスチャンも、人生の落とし穴を免れるわけではありません。ストレスは、病気のとき、疲れ果てたとき、圧倒されて感じるとき、責任を抱えすぎたとき、悲しみに暮れているとき、状況が手に負えなくなったとき、セーフティネットが機能せずに私生活が崩れたとき、人間関係が崩壊したとき、基本的なニーズが満たされていないときに、襲ってくる傾向があります。

    私たちはキリストに従う者として、神が主権者であり、私たちの人生を御手に収めていて、豊かな人生を生きるために必要なすべてを私たちに与えてくださったと信じています。しかし、ストレスが私たちの生活を支配するのは、神を信頼する力を失ったからではないことも、理解する必要があります。そうなるのは、ストレスに対抗するための戦略を備えていなかったからなのです。聖書が、罪と戦うための様々な方法を教えているのと同じように、私たちには、ストレスに対処するための戦略も必要です。…

    AA(アルコホーリクス・アノニマス)の12のステップに詳しい人なら分かるように、ストレスに立ち向かう第一歩は、問題があると認めることです。時には、そうやって認めるのは容易ではなく、かろうじて持ちこたえているといった状態のこともあるでしょう。しかし、ストレスを感じていると認めることで、追い込まれた感覚から解放されるのです。とは言え、そうするには自分に対して正直になる必要があります。ストレスを無視したり、無理に押し通したりすると、予想もしない、あるいは対処しきれない形で、重大な悪影響が出てきます。そうならないために、へりくだって、神のもとへ行く必要があるのです。…

    また、毎日御言葉に親しむ習慣をつけなければなりません。それには、毎日神と語り合うことも含まれており、どちらもストレスに立ち向かう上で不可欠です。それにより、神の言葉を知るだけでなく、それを用いてストレスと闘うことができるようになります。聖書には、私たちのストレスや不安、恐れを追い払うことのできる御言葉が満ちあふれています。

    ストレスの原因がよく分からない場合は、以下のように自問してみてください。

    • 私のストレスの主な要因は何なのか。
    • 私の人生でストレスを引き起こしている問題について、どれくらいの頻度で祈っているだろうか。
    • 仕事、経済状況、健康、人間関係、将来について、私はどのように神を信頼しているだろうか。

    このように自問することは、私たちの生活の均衡を乱すストレス要因に対する霊的・精神的・感情的な反応を見直す助けになります。

    さて、ストレスを、私たちの人生に良い影響を与えるものとすることも可能です。ストレスの最初の兆候は、私たちが本来あるべきように神に寄り頼んでいない、という警告となる場合があります。私たちが仕えている力強い神は、日々の暮らしの些細なことも大きなことも、真に気にかけてくださっていることを覚えていましょう。—ヘザー・リグルマン [2]

    考え方を変えてストレスを軽減する

    考え方を変えない限り、人生のストレスを減らすことはできません。私たちのストレスは外から来るのではなく、内側から生じるのです。

    あなたの心は、神から与えられた特別な贈り物です。100兆以上の思考を蓄えることができるし、膨大な量の情報を処理することができます。神は、そういったあらゆる情報の中から、何について考えるかを選ぶ自由を与えてくださいました。

    聖書には、こうあります。「最後に、兄弟たちよ。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい」(ピリピ4:8)。

    パウロは、何を考えるかは自分で選べるのだと教え、正しいことを考えるよう勧めています。私たちが心に取り入れるものは、生き方に影響を与えるのです。

    私たちの多くが日常的にどんなことを考えているかを考慮してみれば、ストレスを感じるのも不思議ではありません。多くの人は、クリスチャンでさえ、何でもかんでも心に入れてしまっています。… あなたが考えることは、感情に影響し、感情は行動に影響します。自分の心を守りましょう。正しいことに心を向けていましょう。

    ピリピ4章8節は、そういった良いことに心を留めるよう教えています。パウロは、私たちが意識的に選択する必要があると言っているのです。心のチャンネルを切り替えましょう。その節に記された特徴に合致するものだけを受け入れるのです。

    そうすると、何が起こるでしょうか。一つ前の節で神が約束されていることが実現します。「そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう」(ピリピ4:7)。

    それは、十分に価値があることだと思いませんか。—リック・ウォレン [3]

    2021年9月アンカーに掲載 朗読:ジェリー・パラディーノ 音楽:マイケル・ドーリー

  • 5月 27 礼儀正しくあることの大切さ
  • 5月 23 金を借りた二人の人のたとえ
  • 5月 19 信仰とは何か
  • 5月 15 試練の時に勝利を収める
  • 5月 11 霊的生活に投資する
  • 5月 7 友情について想う
  • 5月 3 命を選ぶ
  • 4月 29 私の聖書探求の旅
  • 4月 25 神の性質: 愛
   

ディレクターズ・コーナー

信仰を築く記事と聖書研究

  • キリストに従う者にとっての美徳: 自制・節制

    [Virtues for Christ-Followers: Self-control]

    November 26, 2024

    美徳のリストの最後にあるものは、自制です。新約聖書全体を通して、自制について言及している箇所がいくつも見られます(日本語訳聖書では、「節制」「慎み」「身を慎む」などとも訳されています)。

    パウロは第1コリント書で、私たちが走る競走について語る中で、自制を次のように描写しています。「すべて競技をする者は、何ごとにも節制[自制(新改訳第三版)]をする。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするが、わたしたちは朽ちない冠を得るためにそうするのである。… すなわち、自分のからだを打ちたたいて服従させるのである。そうしないと、ほかの人に宣べ伝えておきながら、自分は失格者になるかも知れない。」[1]

    終わりの時について、パウロは信徒たちに次のように告げています。「このことを知っておきなさい。終わりの日には … 人々は、自分自身を愛し、金に執着し、… 自制心がなく、… 神よりも快楽を愛[するようになる。]」[2] また別の箇所では、こう語っています。「だから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして慎んでいよう。」[3] さらにペテロも、第1の書簡で同様に警告しています。「万物の終りが近づいている。だから、心を確かにし、身を慎んで、努めて祈りなさい。」[4]

    聖書で言われている自制・節制とは、私たちの思考や感情、行為、決断に関して、熱情や欲望を抑制する力を与え、思慮深い判断を下せるようにする内なる性格の強さであると理解できます。思慮深い判断力があるなら、進むべき正しい道や事態への正しい反応の仕方を見極めることができます。

    人生において自制心を成長させていく第一歩は、自分の生活で自制心が欠けており、神の言葉にもっと近く歩む必要のある分野は何なのかを見極めることから始まります。そして、次のステップは、自分の努力では弱さや罪に打ち勝つには不十分であることを認め、祈りの内に主を求めて、自分を変えてくださるようお願いすることです。それから、自制心を働かせて、その祈りを行動に移します。すべきでないと分かっていてもしていることに対してノーと言い、すべきであると分かっていることに対してイエスと言うのです。(この主題について、さらに詳しくは、『もっとイエスのように:自制』をご覧ください。)

    自制の聖書的概念は、私たち人間には、満たすのではなく抑制すべき欲望があることを示しています。自制という美徳において成長するとは、以下の記事が示すように、聖霊の力によって自分を、つまり、自分の情緒や欲望や感情を制御する能力を身につけることです。

    自制心を育てる

    自制心を育てる秘訣は、自分の人生を神にゆだね、思いと行動と人生を聖霊に導いていただくことです。「この世のやり方や慣習をまねてはいけない。むしろ、自分の考え方を改めることによって、神にあなたを造り変えていただき、新しい人となりなさい。そうすれば、何が自分にとっての神の御心であるか、何が善であって、神に喜ばれ、また完全なことであるかが分かるようになる。」[5]

    そうしたからといって、誘惑に遭わなくなるわけではないし、私たちの生活における悪い習慣や弱点を克服するために努力し続ける必要がなくなるわけでもありません。もちろん、私たちにもやるべきことがあります。誘惑がやって来たときには抵抗する必要があるし、自分の弱い部分を強める努力もしなければなりません。しかし実のところ、私たちは誰しも、時には誘惑の餌食になったり、自分の弱さに屈したり、節度を守れば問題ないようなことに過度にふけってしまったりすることがあるものです。使徒パウロは、次のように書き記したとき、私たち皆を代表して語っていたのかもしれません。

    「わたしは、自分の内、つまりわたしの罪深い性質の内には、善が住んでいないことを知っている。正しいことをしたいのに、それができない。善をなしたいのに、それをなさない。悪いことをしたくないのに、結局してしまう。わたしはこの人生の原理を見いだした。すなわち、正しいことをしたいと思うのに、どうしても悪いことをしてしまうのである。わたしは心から神の律法を愛している。しかし、わたしの内には、わたしの思いと戦う別の力がある。この力はわたしを、いまだにわたしの内にある罪の奴隷としている。ああ、わたしは何と惨めな人間なのだろう。罪と死に支配されたこの人生から、誰がわたしを救い出してくれるだろうか。」[6]

    しかし、その時、パウロは答えにたどり着いたのです。「神に感謝することに、その答は、わたしたちの主イエス・キリストの内にある。」[7] —ラファエル・ホールディング [8]

    神の力

    「訓練中のすべての競技者は、やがて朽ちる葉冠を得るために、厳しく節制する。しかし、わたしたちは、朽ちることのない永遠の冠のためにそうするのである」(1コリント9:25 英語GNT訳)。「苦労なくして得るものなし」とフィットネストレーナーは言いますが、まさにその通りです。最高のパフォーマンスを発揮するには、自己鍛錬と自制が必要なのです。オリンピック選手は、ほんの一瞬の栄光を手にするために、何年も訓練を重ねます。しかし、私たちが走っているレースは、地上のどんな競技よりもはるかに重要なものです。ですから、自制はクリスチャンにとって、したければすればいいというようなものではありません。…

    第1ペテロ書で、神は3回にわたり、心を整え、自制心を持つようにと、私たちに呼びかけています。なぜでしょうか。それは、整えられた心と思いが、自制心と大いに関わっているからです。神は私たちに、思考を選ぶ力を与えられたとき、習慣を変える力も与えてくださいました。ローマ12章2節は、懸命な努力や単なる意志の力によって変えられなさいと言っているでしょうか。そうではありません。では、私たちは何によって変えられるのでしょうか。心を新たにすることによってです。自制心が試されるときは、心を神の約束で満たす必要があります。…

    聖書は、神が私たちに聖霊を注ぎ、力を与えてくださる、と語っています。すべてのクリスチャンは、その人生に神の霊を宿していますが、すべてのクリスチャンが、その人生に神の力を宿しているわけではありません。この件につき、イエスはヨハネ15章で、美しいたとえを用いて説明しておられます。私たちの霊的な生活を、ぶどうの木とその枝にたとえて、こう言われたのです。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである」(ヨハネ15:5)。…

    神の御霊に頼る秘訣は、絶えず祈ることです。決断について祈りなさい。必要について祈りなさい。関心事について祈りなさい。スケジュールについて祈りなさい。直面している問題について祈りなさい。これから会う人々について祈りなさい。買う物について祈りなさい。あらゆることについて祈りなさい。それが、「つながっている」ということの意味です。神が常にあなたと共におられることを意識し、神の臨在を実践することなのです。そうして祈り続けるとき、御霊の実があなたの人生に育っていくのが分かることでしょう。—リック・ウォレン [9]

    力と自制の霊

    自制心は、私たちが誘惑と戦い、この世に倣うことのないようにしてくれます。決断を導き、他の御霊の実が私たちの人生にどう現れるかとも深く関わっています。たとえば、寛容、すなわち忍耐は、自制を必要とします。箴言14章29節には、こうあります。「忍耐強い者には、大いなる理解力があるが、気の短い者は愚かさをさらけ出す」(英語NIV訳)。罪深い性質によって、怒りに身を任せてしまうことがありますが、私たちはそれを乗り越え、忍耐を示すよう求められています。自制は、寛容に適用されるのと同じように、御霊のあらゆる実に適用することができます。…

    イエス・キリストは、罪のない生涯を送り、御霊のあらゆる実を備えることで、自制の完璧な模範となられました。父の御心を行うためにこの世に遣わされ、自制心をもって行動されたのです。私たちに模範を示すために完璧な生涯を生き、最後には、私たちが永遠の命を得られるようにと、私たちの罪のために死んでくださいました。

    マタイ26章53–54節で、イエスはこう言われました。「わたしが父に願って、天の使たちを十二軍団以上も、今つかわしていただくことができないと、あなたは思うのか。しかし、それでは、こうならねばならないと書いてある聖書の言葉は、どうして成就されようか。」

    イエスは、ご自分がこの世に遣わされた目的を知っておられ、[不安感]がありながらも、御父の完全な計画に従うことによって、自制を示されました。イエスにその自制心がなければ、私たちは自分の罪に対する罰として、死に直面することになっていたでしょう。

    第2テモテ1章7節には、こうあります。「神がわたしたちに与えてくださったのは、恐れの霊ではなく、力と愛と自制の霊である」(英語ESV訳)。聖霊が私たちの内におられるので、私たちは自制心を持ち、御霊の実を現すことができます。そして、その結果、私たちは神に喜ばれる生き方ができるのです。—ローレン・エイブラハム [10]

    聖霊の賜物

    聖書的に言えば、自制心、あるいはその欠如は、私たちの最も深い部分である「心」に関することです。それはまず感情の制御から始まり、やがて思考も関わってきます。自制(節制、慎み)は、しばしば冷静(整えられた心、分別、思慮深さ、慎み深さ)と結びつけて語られています(1テモテ3:2; テトス1:8, テトス 2:2; 1ペテロ4:7)。また、いくつかの箇所では、自制という言葉がとりわけ心(思い)に関して用いられています。…

    私たちは、神が与えてくださる力によって、自分を律したいと願います。「ノー」と言えるようになることを学びますが、ただ「ノー」と言うだけではありません。自分の力だけで成し遂げることの無力さと空しさを認めるのです。そして、イエスの助けを祈り求め、説明責任を果たし、具体的な戦略を練ります。私たちは、神がすべての良いわざのために力を与えるという約束を信じ(2コリント9:8; ピリピ4:19)、それを私たちの内に、また私たちを通して、成し遂げてくださるという信仰をもって行動します(ピリピ2:12–13)。…

    突き詰めていくと、自分を制御するということは、キリストによって制御されることにほかなりません。「キリストの愛がわたしたちを制御している」とき(2コリント5:14 英語ESV訳)、すなわち、キリストが私たちの主権者であるという真理を受け入れるとき、私たちは、自制心を発揮させるために自らの力を振り絞る必要はなく、「他の方」の力の内に力を見いだせるという自由を享受することができます。このイエスというお方において、「神の恵みが現れ」、私たちは「不信心とこの世の情欲とを捨て」るだけでなく、「慎み深く、正しく、信心深くこの世で生活」するよう訓練されるのです(テトス2:11–12)。…

    自制は、神の御霊によって私たちの内に、そして私たちを通して生み出される賜物であるため、クリスチャンは、自制の面で成長することについて、この世の誰よりも大きな希望を抱くことができるし、また抱くべきです。何しろ、私たちは、世界の歴史の中で最も自制心に富んだお方の兄弟姉妹なのですから。

    そのお方は、生涯を通じて「罪は犯されなかった」のです(ヘブル4:15)。「キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった」(1ペテロ2:22)。汗が血のしたたりのように流れ落ちても、すべきことを貫き通しました(ルカ22:44)。… ののしられても、ののしり返すことをしませんでした(1ペテロ2:23)。… どんな試練や誘惑にあっても、「さまざまの苦しみによって従順を学び」ました(ヘブル5:8)。そして、自制心を最大に発揮して、「死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられ」たのです(ピリピ2:8)。このお方が、私たちを強めてくださいます(ピリピ4:13)。

    私たちの弱々しい自制心をはるかに超えた、真の自制心の源が、イエスの内にあるのです。—デビッド・マティス [11]

    *

    ベンジャミン・カーソンは、世界で最も有名な医師の一人です。母親は、離婚後にデトロイトの貧困地区で彼を育て、生計を立てるためにいくつもの仕事を掛け持ちしなくてはなりませんでした。彼女自身は小学3年生までの教育しか受けていませんでしたが、子どもたちにテレビを消して本を読むよう厳しく命じることで、ベンジャミンと兄の落ち込んでいた学業成績を劇的に向上させました。

    ただ、カーソンの学業は順調だったものの、成功への道のりにはもう一つ別の障害がありました。怒ると凶暴になる性格です。本人の説明によれば、よくバットや石で人を殴っていたそうです。あるときは、近所の人の眼鏡を壊し、もう少しで片目を失明させるところでした。

    事態は9年生のときに頂点に達しました。カーソンが少年の腹を刺そうとしたのです。幸い、標的となった少年がしていたベルトには大きな金属製のバックルがついていたため、それでナイフの刃が折れました。カーソンは振り返って、「あんなに短気な性格では、刑務所か少年院、あるいは墓場行きになると悟りました」と語っています。

    彼は「祈り始め、神にこの短気から[自分を]救い出してくださるようお願いしました。」 そして、若き日の苦悩の中で導きを求め、旧約聖書の『箴言』を読み始めたのです。とりわけ、この一節が心に響いたそうです。

    「怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は城を攻め取る者にまさる」(箴言16:32)。

    この霊的な危機を経験した後、カーソンは怒りを制御できるようになったと言います。そして彼は、サウスウェスタン高校を3位の成績で卒業し、イェール大学の奨学金を獲得しました。自制心を身に着けたからこそ、彼が治療者となり、一流の外科医となれたことは間違いありません。—リチャード・オストリング [12]

    神は真実な方

    またしても、何も考えずにインスタグラムをスクロールして、「インフルエンサー」たちが次から次へと商品を宣伝し、セールやお得情報を伝える投稿のブラックホールに吸い込まれてしまいました。するとその内に、気づけば「カートに入れる」をタップし、数日後に玄関先に荷物が届いたときには、夫に見つからないようにそれを隠す自分がいたのです。よくないことだと分かっていても、私の生活に根付いてしまったこの衝動買いのサイクルを止めるには、誘惑が強すぎるように感じられました。でも、そんなはずはなかったのです。私たちが打ち勝てないほどに強い誘惑などありません。

    自分の感情に基づいて真実を判断すべきではない、ということを忘れてはなりません。私たちは、神の御言葉が何と言っているかに目を向け、その真理によって心を新たにし、健全な[そして、神の教えにかなった]選択をするための知恵を得なければなりません。自制や、私たちが直面するあらゆる誘惑に打ち勝つことに関する真理が、第1コリント書に記されています。パウロはこのように述べているのです。

    「あなたがたをこれまでに襲った誘惑で、人類に共通でないものはなかった。さらに、神は真実な方である。あなたがたを耐えられないような誘惑に遭わせることはなさらない。むしろ、あなたがたが誘惑に遭うときには、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださる」(1コリント10:13 英語NIV訳)。…

    誘惑に耐えきれないと感じることはあるかもしれませんが、神は常に私たちのために逃れる道を備えてくださいます。私たちは、その逃れる道を見いだすための知恵と霊的な目を与えてくださるよう、主に求めなければなりません。私個人にとって、その知恵とは、そのようなインフルエンサーのインスタグラムアカウントのフォローを外すことで、彼らの投稿にある誘惑が、絶えず目の前に現れないようにすることでした。

    私たちが自分の道を聖霊に委ねるとき、聖霊は変わらず私たちに知恵と導きを与え、私たちを強めてくださいます。私たちの心を戒め、聖書が語っていることを思い出させ、私たちがいただいている御霊の実、特に自制という実を育んでくださるのです。私たち信者は御霊の実をいただいていますが、自然界の果実と同じように、それは育てていかなければなりません。主と共に歩み、御言葉を学ぶ時間が長ければ長いほど、私たちの内にあるその実はより一層育まれ、強められていくのです。—エミリー・マッセイ [13]

    自制・節制の面で成長できるようにとの祈り

    主よ、今日という一日を迎えるにあたり、私の思いと言葉、そして行いを導いてくださるよう、お願いします。自制を重荷ではなく、自由への道として受け止める力をお与えください。私が、小さな自制の行いの中に喜びを見いだし、私が下す選択の一つひとつが、あなたの愛と恵みを映し出す機会であることを忘れませんように。

    この慌ただしく騒がしい一日の要求の渦の中で、穏やかな心の拠り所となってください。緊急なことだけでなく、大切なことを優先できるよう、私をお導きください。自制は礼拝の一形態であり、人生のあらゆる側面であなたを敬う道であることを、思い出させてください。 あなたの御霊が、命と喜びと平安をもたらす選択へと私を導いてくださいますように。イエスの御名によって祈ります。アーメン。—ローラ・メンデンホール [14]

    思考の糧

    「すべての人を救う神の恵みが現れた。そして、わたしたちを導き、不信心とこの世の情欲とを捨てて、慎み深く[自制心を持って]、正しく、信心深くこの世で生活し、祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神、わたしたちの救主キリスト・イエスの栄光の出現を待ち望むようにと、教えている」(テトス2:11–13)。

    「真の自制とは、おのれを自分の力で制御することではなく、キリストの支配力のもとに置くことである。」—デビッド・マティス

    「だからこそ、あなたがたはあらゆる熱意を傾けて、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい」(2ペテロ1:5–7 新改訳2017)。

    「自制とは、健全な判断力に導かれて、内なる力を発揮することである。それによって、神に喜ばれることを行い、考え、語れるようになる。」—ジェリー・ブリッジズ

    (続く)


    注:

    聖書の言葉は、特に明記されていない場合、日本聖書協会の口語訳聖書から引用されています。


    1 1コリント 9:24–27.

    2 2テモテ 3:1–4 聖書協会共同訳.

    3 1テサロニケ 5:6.

    4 1ペテロ 4:7.

    5 ローマ12:2 英語NLT訳.

    6 ローマ7:18–19, 21–24 英語NLT訳.

    7 ローマ7:25 英語NLT訳.

    8 “Developing Biblical Self-Control,” Anchor, June 2014.

    9 Rick Warren, God’s Power to Change Your Life (Grand Rapids, MI: Zondervan, 2006).

    10 Lauren Abraham, “Weekly Devotional: Fruit of the Spirit – Self-Control,” Grand Canyon University blog, January 29, 2016, https://www.gcu.edu/blog/spiritual-life/weekly-devotional-fruit-spirit-self-control.

    11 David Mathis, “Self-Control and the Power of Christ,” Desiring God, October 8, 2014, https://www.desiringgod.org/articles/self-control-and-the-power-of-christ.

    12 Richard N. Ostling, “An Angry Teen's Experience Demonstrates Bible's Power,” AP via The Gadsden Times, July 9, 2004, https://www.gadsdentimes.com/story/news/2004/07/09/an-angry-teens-experience-demonstrates-bibles-power/32313102007/.

    13 Emily Rose Massey, “A Prayer for More Self Control,” Crosswalk, https://www.crosswalk.com/devotionals/your-daily-prayer/a-prayer-for-more-self-control.html.

    14 Laura Mendenhall, “Prayer for Discipline,” Love Fast, Live Slow, July 17, 2024, https://lovefastliveslow.com/prayer-for-discipline/.

     

  • 5月 19 第1コリント:第14章(26–40節)
  • 5月 12 キリストに従う者にとっての美徳: 優しさ・柔和
  • 5月 5 第1コリント:第14章(1–25節)
  • 2月 24 弟子の生き方(パート3): キリストにとどまる
  • 2月 1 第1コリント:第13章(1–13節)
  • 12月 30 第1コリント:第12章(12–30節)
  • 11月 11 第1コリント:第12章(1–11節)
  • 11月 4 弟子の生き方(パート2): 私たちの全存在をもって神を愛する
  • 10月 28 第1コリント:第11章(17–34節)
   

信条

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  • ファミリー・インターナショナル(TFI)は、世界中の人々と神の愛のメッセージを分かち合うことをゴールとする国際的なオンライン・クリスチャン・コミュニティーです。私たちは、誰でもイエス・キリストを通して神との個人的な関係を持つことができると信じます。その関係があれば、幸せや心の平安が得られるだけではなく、他の人を助け、神の愛の良き知らせを伝えようという意欲がわいてきます。

私たちのミッション

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  • ファミリー・インターナショナルが何よりも目標としているのは、神の御言葉のうちに見出される、愛と希望、救いという命を与えるメッセージを分かち合うことによって、より良い人生を皆さんに送っていただくことです。ペースの速い、複雑化した現代社会にあっても、神の愛を日常生活の中で実践することこそ、社会の問題の多くを解決する鍵であると私たちは信じます。聖書の教えにある希望や助言を分かち合うことで、ひとりずつ心が変わって行くことによって、だんだん世界が変わって行き、より良い世界が築かれて行くと信じているのです。

理念

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  • 霊的な解決策

    私たちは、障害を乗り越え、対立を解決し、可能性を最大限に伸ばし、心をいやすという日々のチャレンジに対して、霊的な原則を適用します。また、霊的な富や知識を他の人たちと分かち合うように努めます。

TFI について

TFI オンラインは、ファミリー・インターナショナル(TFI)のメンバーのためのコミュニティサイトです。TFI は、世界各地で神の愛のメッセージを伝えることに献身する国際的なクリスチャン・フェローシップです。

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第1・第2テサロニケ
パウロがテサロニケの信徒に宛てた書簡の研究と、その教えがいかに現在に当てはめられるか
そのすべての核心にあるもの
キリスト教信仰・教義の基本を扱ったシリーズ