• 私にできることは、今できますように

  • 1本のロウソクでも、暗闇では大きな違いを生み出す

  • 天地が滅びても、私の言葉は滅びない

  • まず神の国を求めよ

  • 祈りとは、神の心へと登っていくこと (マルティン・ルター)

アンカー

ユーザーフレンドリーなデボーション記事

  • 自分の心ではなく、神に従う

    Follow God, Not Your Heart
    November 11, 2025

    オーディオ所要時間: 11:41
    オーディオ・ダウンロード(英語) (10.7MB)

    「自分の心に従え」というのは、何十億もの人々が抱いている信条です。それは一種の信仰声明であり、西洋世界のポップカルチャーにおける偉大な神話の一つであり、数多くの物語や映画、歌の中で説かれる「福音」でもあります。

    本質的に、それは「あなたの心はあなたの中にあるコンパスであり、それに従う勇気さえあれば、あなた自身の真北(真に目指すべき目標)へと導いてくれる」という信条です。つまり、あなたの心は、それに耳を傾ける勇気さえあれば、真の幸福へと導く確かな道しるべになる、と言うのです。この信条は、あなたは道に迷っているが、あなたの心こそがあなたを救ってくれるのだと説いています。

    この信条は、とてもシンプルで美しく、解放感に満ちたものに聞こえるかもしれません。道に迷っている人々にとって、これは信じたいと思わされる魅力的な福音です。しかし、少し考えてみてください。あなたの心は、あなたに何を告げているでしょうか。

    答えなくて結構ですが、今日、あなたの心は、口に出したくないようなことを言っていたはずです。私の心もそうでした。私の心は、現実のすべてが私の欲望を満たすためにあるべきだ、と私に告げます。私の心は、自分自身を良く思い、他人を悪く思いがちです。ただし、相手が私を高く評価しているなら別で、その場合、「素晴らしい人だ」と考えるのです。…

    「自分の心に従え」という信条が、聖書に見当たらないのは確かです。むしろ聖書は、私たちの心は病んでいると言います。「心は何にもまして偽るもので、はなはだしく病んでいる。誰がそれを知りえようか」(エレミヤ17:9 英語ESV訳)。偉大な医師であるイエスは、この病の恐ろしい症状を次のように挙げています。「悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来る」(マタイ15:19)。…

    私たちの心は、私たちが従うべきものとして造られたのではありません。心は、導かれるべきものとして造られています。心は、私たちが信じるべき神となるようには造られておらず、神を信じるように造られたのです。

    もし私たちが心を神とし、心に導きを求めるなら、心は私たちを自己愛による惨めな状態へと導き、最終的には破滅へと導くことでしょう。心が私たちを救うことはできません。なぜなら、私たちの心にある問題こそが、問題の核心だからです。しかし、もし私たちの心が、本来そうすべく造られていた通りに神を信じるなら、神は私たちを救い(ヘブル7:25)、私たちの心をこの上ない喜びへと導いてくださいます(詩篇43:4)。

    ですから、自分の心を信じてはいけません。自分の心が神を信じるように、導くのです。自分の心に従ってはいけません。イエスに従いなさい。イエスは弟子たちに、「心を騒がせないがよい。ただ自分の心を信じなさい」とは言わなかったことに注目してください。イエスはこう言われたのです。「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい」(ヨハネ14:1)。…

    イエスはあなたの羊飼いです(詩篇23:1; ヨハネ10:11)。御言葉の中にあるイエスの声に耳を傾け、イエスに従ってください(ヨハネ10:27)。イエスは真理であり、道であり、あなたを命へと導く方なのです(ヨハネ14:6)。—ジョン・ブルーム [1]

    真理に従う

    先月、私は60人の高校生を率いて、アリゾナ州北部へ、ニューエイジの世界観をテーマにした宣教旅行に出かけました。生徒たちは、世界観と弁証学について14週間にわたる研修を修了したところで、キリスト教や真理について他者と対話する準備が整っており、そのための知識を身につけていました。

    この旅行の一環として、シャーマン、ニューエイジの霊能者、そして無神論者が、自分たちの信念について語り、その後、生徒たちが質問をする時間が設けられました。

    シャーマンとニューエイジの霊能者には、共通したショッキングな中核的信仰がありました。彼らによれば、人間の頭(知性)はペテン師のようなもので、信頼できないというのです。私たちの頭は物事を考えすぎてしまい、トラブルを招くだけなので、常に自分の心に従うべきだということです。「もし心が何かをするように告げているなら、それを実行しなさい」と霊能者は言いました。「それについて考えることさえしてはいけない」と。

    「自分の心に従いなさい」というのは、ニューエイジの友人たちから繰り返し聞かされたことですが、それは聖書が教えていることとは正反対です。… イエスご自身も、人間の心にある悪について次のように語られました。「すなわち内部から、人の心の中から、悪い思いが出て来る。不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、邪悪、欺き、好色、妬み、誹り、高慢、愚痴。これらの悪はすべて内部から出てきて、人をけがすのである」(マルコ7:21–23)。

    聖書によれば、人間は罪のために堕落しており、私たちの邪悪な欲望や傾向、欲求は抑制されなければなりません。自制は御霊の実の一つで、私たちが堕落した心を制御するために与えられました。

    人間は、自身の誤った欲望を、いかにして制御することができるのでしょうか。それは、自分の心に従い、欲求に身を任せることによってではありません。そうではなく、人間は、現実をあるがままに見ることができるよう、心を新たにしなければならないのです。パウロが語っているように、「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を造り変えていただき、何が神の御心であるのか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるのかをわきまえるようになりなさい」(ローマ12:2 聖書協会共同訳)。…

    ニューエイジの世界観は、何一つ新しいものではありません。「自分の心に従え」という教えは、蛇がエバに語った嘘の言葉にまで遡ります。エバは、頭では神が何と言われたかを知っていましたが、それでも自分の心に従うことを選んだのです。

    私のアドバイスはこうです。それと同じ過ちを繰り返さないでください。自分の心ではなく、真理に従ってください。神の言葉の通りに、心を新たにすることによって、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるのかをわきまえるようになりなさい(ローマ12:2)。—ロビー・ラシュア [2]

    キリストにある新しい心

    罪深い人間の心は、あまりにも頑なであるため、自ら神を求めることさえできません(ローマ3:11)。だからこそ、イエスは、父がまず引き寄せてくださらない限り、誰もイエスのもとに来ることはできないと言われたのです(ヨハネ6:44)。私たちは新しい心を切実に必要としています。なぜなら、自分の力では、この頑なな心を柔らかくすることができないからです。…

    私たちが新たに生まれ変わる時、神はいわば「心移植」を行われます。私たちに新しい心を与えてくださるのです。聖霊の力によって、私たちの心は、罪に向かうものから、神に向かうものへと変えられます。私たちは、完璧な存在になるわけではありません(1ヨハネ1:8)。依然として「罪深い肉」があり、それに従うか従わないかを選択する自由も持っています。しかし、イエスは、私たちのために十字架で死なれたときに、私たちを支配する罪の力を打ち砕いてくださいました(ローマ6:10)。イエスを救い主として受け入れることで、私たちは神とその力に近づくことができます。その力は、罪によって頑なになった私たちの心を、キリストによって柔らかくされた心に変えてくれるのです。…

    神は、すべての人が御子イエスのようになることを望んでおられます(ローマ8:29)。私たちは、神に委ね、古く頑なになった心を取り除いて、新しい心を与えていただくとき初めて、イエスに似た者となることができるのです。—GotQuestions.org [3]

    すべてを新たに

    詩篇51篇で、ダビデはこう祈っています。「神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。」 自分の欠点や、切実に神を必要としていることを、告白しています。変わりたい、立ち直りたいと願っていたのです。しかし、私たちを新しい存在、すなわち神により似た存在へと変えてくださるのは、神の御霊です。

    新たな何かを造り出し、画期的な変化をもたらすという神の能力に秘められたパワーには、驚かされます。他の誰がそんなパワーを持っているでしょうか。そればかりか、神がそのパワーを用いて私の心に働きかけ、私の人生を変えてくださるという事実こそが、希望の源なのです。思いを新たにし、心を変えるほどの変化は、私の手には届かないように思えますが、神がそのパワーと御霊によって私たちの内に働きかけてくださいます。そのような変化は、必ずしも目に見えたり感じたりできるわけではありませんが、「わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いている」のであり、だからこそ、常に勇気を持ち続けることができるのです(2コリント5:6–7)。

    それは、私たち自身の努力とはほとんど、あるいはまったく関係ありません。それはひとえに、主によるのであり、主の血によって結ばれ、私たちがあずかれるようにしてくださった新しい契約によるのです。「わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである。この聖霊は、わたしたちの救主イエス・キリストをとおして、わたしたちの上に豊かに注がれた。これは、わたしたちが、キリストの恵みによって義とされ、永遠のいのちを望むことによって、御国をつぐ者となるためである」(テトス3:5–7)。

    私たちはゆるしと和解を求めて神のみもとに行き、神はゆるしと魂の清めを与えてくださいます。そして過去の罪や過ちの記録を拭い去るという奇跡をされるのです(ヘブル8:12)。神は新しい心を与えてくださいます。「わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け」る(エゼキエル36:26)。神は私たちを引き上げ、変え、新たに造り、私たちの魂を生き返らせ、正しい道に導いてくださいます(詩篇23:3)。そして、私たちは神の性質にあずかる者となります(2ペテロ1:4)。

    主はすべてのものを新たにし、今日もなお、私たちに、「わたしに従ってきなさい」と呼びかけておられるのです(ルカ18:22)。—アビ・ルー

    2025年11月アンカーに掲載 朗読:ジェリー・パラディーノ 音楽:マイケル・フォガティ


    1 Jon Bloom, “Don’t Follow Your Heart,” Desiring God, March 9, 2015, https://www.desiringgod.org/articles/dont-follow-your-heart

    2 Robby Lashua, “Follow the Truth, Not Your Heart,” Stand to Reason, August 6, 2024, https://www.str.org/w/follow-the-truth-not-your-heart

    3 “What does the Bible mean when it says that we will receive a new heart?” GotQuestions.org, https://www.gotquestions.org/new-heart.html

  • 7月 6 キリストの弟子になること(パート2):代価
  • 7月 2 信仰にあふれたことを考える
  • 6月 30 忍耐力を成長させる(パート2)
  • 6月 26 キリストの弟子になること(パート1):召命
  • 6月 24 それは井戸だけの話ではなかった
  • 6月 20 忍耐力を成長させる(パート1)
  • 6月 16 あなたの人生のタペストリー
  • 6月 12 思考はなぜ大切なのか
  • 6月 8 聖書の存在意義
   

ディレクターズ・コーナー

信仰を築く記事と聖書研究

  • すべての美徳の実践

    [Practicing All the Virtues]

    December 10, 2024

    本シリーズを締めくくるにあたり、ガラテヤ5章22–23節に挙げられている9つの美徳――愛、喜び、平安(平和)、忍耐(寛容)、親切(慈愛)、善意、誠実(忠実)、優しさ(柔和)、自制――を、私たちの生活の中でどのように育み、実践していくといいのかを考えるのは、有意義なことだと思いました。

    これらの美徳を育むうえで重要な要素の一つは、主との関係です。主を愛するがゆえに、私たちは主との深い関係を築きたいと願い、その関係を強めるために時間と労力を注ぎます。そして、それには、御言葉を読むこと、祈りを通して主と交わること、イエスが示してくださった模範に従うことが含まれます。

    神が私たち一人ひとりを個人的に愛しておられることを理解すると、神が他の人々をもご自身との関係に招き入れたいと願っておられることに気づくようになります。まだ神を知らない人たちに対しても、神が揺るぎない愛を抱いておられることに気づくとき、私たちは人々に、彼らを深く愛し、彼らの人生の一部になりたいと願っている方がいることを、最善を尽くして知らせたいという思いに駆られます。全人類に対する神の愛のメッセージを伝えることが私たちの使命となり、キリストに似た者へと成長することに情熱を注ぐようになるのです。

    キリストへの愛は、私たちの心と魂と思いと力を尽くして熱心に主を愛し、主との親しい関係を育むよう私たちを駆り立てます。この愛は、イエスに似た者となり、主の性質にならい、神の愛を他の人たちに伝えようと努力することを、私たちに迫ります。それは、彼らもまた主を知るようになるためなのです。[1]

    イエスに従う者として、私たちの目標の一つは、キリストに倣うことです。私たちは主の性質と属性を身につけたいと願うし、主との関係が深まるにつれ、御霊の実が現れるようになります。私たちは神の御旨にかなった態度を示し、神の御旨にかなった道徳観を持ち、誠実さを保ち、御言葉に生きるようになるのです。イエスにもっと似た者となっていくにつれ、イエスが私たちを通して輝かれます。そしてそのとき、つまり、私たちが主に倣っている姿を他の人々が見るとき、彼らは、神の愛が実践されているのを目にする機会を得るのです。

    キリストの足跡をたどる

    アメリカの偉大な伝道者ドワイト・L・ムーディは、品性について次のような簡潔な言葉を残しています。「品性とは、暗闇の中であなたがどのような人間かということだ。」

    クリスチャンとして、私たちは皆、霊的成熟とキリストに似た者になるという面において、成長したいと願っています。最悪の瞬間の自分や罪を捨て去り、御霊の実である愛、親切、柔和、自制などを示す生き方をし、キリストの助けによって自分がなり得るどんな者にもなりたいのです。

    突き詰めて言えば、私たちはイエスのようになり、イエスが考えられたように考え、イエスが振る舞われたように振る舞いたいと願っています。聖書は、私たちがキリストの足跡をたどるよう励ましています。「神の内に生きていると言う人は、イエスがされたように人生を生きるべきである」(1ヨハネ2:6 英語NLT訳)。もっとも暗く、辛い経験をしているときでも、私たちの品性が他の人々にとって神の真理の証となることを、私たちは願っています。

    高潔な人格を築き上げ、育むことは、本や説教からは学べないし、意志力や努力だけで学べるわけでもありません。自動的に、偶然に、あるいは突然に、起こるものでもありません。また、自分自身の力や決意だけで生み出せるものでもありません。それは、私たちの生活に臨在しておられる聖霊による変革の御業であり、聖霊の実なのです。

    第1ペテロ2章21節には、こうあります。「キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。」 使徒パウロはさらに踏み込んで、神は私たちの信仰を強め、キリストに似た者へと成長させるために、問題や試練さえも用いてくださると記しています。「わたしたちは、問題や試練に遭遇したときにも、喜ぶことができる。なぜなら、そのおかげで忍耐力を養えると知っているからである。そして、忍耐は強い品性を生み出し、品性は救いへの確かな希望を強める」(ローマ5:3–4 英語NLT訳)。—ローナン・キーン [2]

    実を結ばせる神の力

    人生に必要とされる力は、単なる意志力以上のものです。神の力が必要なのです。御霊の実とは、聖霊があなたの内に住まわれるときに、神があなたの人生に与えてくださる資質であり、それは「愛、喜び、平安、忍耐、親切、善意、誠実、優しさ、自制」です(ガラテヤ5:22–23 英語NLT訳)。

    神は、どのようにして、あなたの人生に実を結ばせてくださるのでしょうか。それは、意志力によるのではありません。思い切って、「もっと忍耐強い人間になるぞ!」と言ったところで、そうなれるとは限りません。

    聖霊が内側からその実を育ててくださる必要があります。「もっと忍耐強くなるぞ。もっと愛情深くなるんだ」と言ったとしても、それはユーカリの木にオレンジをくくりつけて、「これはオレンジの木だ」と言うようなものです。そんなふうにはいきません。御霊の実は、内側からしか生まれません。神の御霊があなたを通して生きてくださることによってのみ生まれるのです。

    聖霊はあなたの人生において、どのように働かれるのでしょうか。その答えは、「徐々に」です。「主、すなわち御霊は、わたしたちをますます主と似た者とし、わたしたちは主の栄光のかたちに造り変えられていくのです」(2コリント3:18 英語NLT訳)。—リック・ウォレン [3]

    御霊の実を育む

    御霊の実を育むための最初のステップは、神に身を委ねることです。マタイ16章24–26節で、イエスはこう言われています。「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。」 神に身を委ねるとは、自分の願望や計画を捨て、私たちの人生における神の御心に従うことを意味します。

    御霊の実を育むための第2のステップは、御霊の内を歩むことです。ガラテヤ5章16–17節には、こうあります。「わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反するからである。こうして、二つのものは互に相さからい …。」 御霊の内を歩むとは、自分の欲望ではなく、聖霊に導かれる生き方をすることです。

    御霊の実を育むための第3のステップは、キリストにとどまることです。ヨハネ15章4–5節で、イエスはこう言っておられます。「わたしにつながっていなさい[とどまりなさい(新改訳2017)]。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。」 キリストにとどまるとは、祈り、聖書を読むこと、そして礼拝を通して、キリストにつながった状態でいることを意味します。—エリック・ラフィン [4]

    *

    このシリーズにふさわしい省察になると思い、マックス・ルケードの次の記事を紹介します。私たち皆が、御霊のあらゆる賜物において成長し続け、「主の栄光を … 見つつ、栄光から栄光へと」、御霊である「主と同じ姿に変えられていく」[5] ことができますように。

    私は選ぶ

    もうじき一日が始まる。… 一人の穏やかな時間は、人類の慌ただしいペースに取って代わられる。早朝の安らぎの場は、下すべき決断や、守るべき締切に侵されていく。これからの12時間、私はこの日が与える様々な要求にさらされる。私が選択をすべきとき、それは今。ゴルゴタのおかげで、私は自由に選択できる。だから、私は選択をする。

    私は愛を選ぶ。どんな状況であっても、憎しみは正当化されない。どんな不正にあっても、恨みは正当化されない。私は愛を選ぶ。今日、私は神を愛し、神が愛しておられるものを愛する。

    私は喜びを選ぶ。… 私はどんな問題も、神に目を向ける機会としてしか見ないようにする。

    私は平和を選ぶ。赦された者として生きる。生きるために赦す。

    私は忍耐を選ぶ。世の中のやっかいさを気に留めたりしない。… 待ち時間が長すぎると文句を言う代わりに、祈る時間を与えてくださった神に感謝する。新しい任務に拳を握りしめる代わりに、喜びと勇気をもってそれに向き合う。

    私は親切を選ぶ。貧しい人に親切にする。彼らが孤独でいるから。裕福な人に親切にする。彼らが恐れているから。そして不親切な人にも親切にする。なぜなら、神が私にそう接してくださったから。

    私は善意を選ぶ。不正な1ドルを手にするくらいなら、1ドルもなしで済ませる方が良い。自慢するよりは、気づかれないままが良い。人を非難するよりは、自分の非を打ち明ける。私は善意を選ぶ。

    私は誠実を選ぶ。今日、約束を守る。私に貸しがある人に、私を信頼したことを後悔させない。仲間に、私の言葉を疑わせるようなことをしない。妻に、私の愛を疑わせるようなことをしない。そして子どもたちに、父親が家に帰らないのではと心配させるようなことをしない。

    私は優しさを選ぶ。力ずくで勝ち取れるものなど何もない。私は優しくすることを選ぶ。声を上げることがあるなら、それはただ賛美するためであるように。拳を握ることがあるなら、それはただ祈りのときであるように。何かを要求することがあるなら、それはただ自分自身に対してであるように。

    私は自制を選ぶ。私は霊的な存在だ。この体が死んだ後、私の霊は舞い上がる。朽ちゆくものに、永遠を支配させはしない。私は自制を選ぶ。酔うのは喜びだけにする。情熱を注ぐのは信仰だけにする。影響を受けるのは神だけにする。教えを受けるのはキリストからだけにする。私は自制を選ぶ。

    愛、喜び、平和、忍耐、親切、善意、誠実、優しさ、自制。今日一日、これらのことに全力を傾ける。うまくやれたら、感謝を捧げる。しくじったなら、主の恵みを求める。そして、この一日が終わったら、枕に頭をのせて休もう。—マックス・ルケード [6]

    御霊の実を求める祈り

    愛する天のお父さま、

    私は今日、深い感謝と、愛に満ちあふれた心をもって、あなたの御前に進み出ます。ガラテヤ5章で、私たちの歩みを導く御霊の実について思い起こさせてくださったことを感謝します。主よ、あなたの知恵は尊い賜物です。私はあなたの教えに従って生きる者でありたいと願います。

    主よ、どうか私の人生において、これらの実を結ぶことができるようお助けください。これらはあなたの性質を映し出すものだと知っているからです。父よ、私の心を愛で満たしてください。あなたが私を愛してくださったように、私も他の人々を愛することができるようにです。この混乱に満ちた世にあって、私が喜びを広め、平和の源となれますように。人生で出会う人々に示すべき忍耐と親切を、私に授けてください。あなたの恵みの証として、常に善を行うよう努めることができますように。

    主よ、忠実さを授けてください。逆境にあってもあなたの約束を信じ、あなたへの揺るがぬ献身を持ち続けられますように。人を傷つけるのではなく、励まし支えるような優しい霊をお与えください。また、私の願望をあなたの御心に委ね、人生のあらゆる面で自制を働かせることができますように。

    あなたは私たちに、「御霊に歩調を合わせる」よう励ましておられます。あなたの聖なる霊の導きによって、この信仰の旅路を進むことができるよう祈ります。私があなたの道に歩み、あなたの御言葉に従って生き、あなたの力に頼る者となれますように。

    主よ、私は自分の欠点を告白し、あなたが私を赦し、変えてくださるよう求めます。自分のためだけでなく、この世であなたの愛と恵みを映し出す光として輝くために、御霊の実を結ぶ者でありたいと切に願います。アーメン。—リッチ・ビターマン [7]

    思考の糧

    「あなたがたが、わたしから学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことは、これを実行しなさい。そうすれば、平和の神が、あなたがたと共にいますであろう。」(ピリピ4:9)

    「もし神に、御霊の実において成長するのを助けてくださいと祈るなら、神がそうしてくださることを100%確信できます。神は、ご自分の子どもたちがイエスにもっと似た者となるよう助けることを喜ばれます。ですから、今日、新たな力であなたを満たしてくださるよう、… 御霊の実において成長できるよう、聖霊に求めてください。」 —ラブ・ワース・ファインディング

    「だから、あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから、あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着けなさい。」(コロサイ3:12)

    「私たちは、神に選ばれ、愛され、聖別されることを望んで、聖霊の実を実践しようと努めることがよくありますが、実際にはその逆なのです。私たちが選ばれ、聖なる者とされ、選び分かたれて、今や、イエスが私たちの心に住んでくださるからこそ、私たちは御霊の実を結ぶことができるのです。」 —ケリー・ミンター


    注:
    聖書の言葉は、特に明記されていない場合、日本聖書協会の口語訳聖書から引用されています。


    1 2コリント5:14.

    2 Ronan Keane, “The Character Builder” (adapted), Activated, July 2019.

    3 Rick Warren, “Sometimes the Change Is Gradual,” PastorRick.com, February 22, 2024, https://pastorrick.com/sometimes-the-change-is-gradual/.

    4 Errick Ruffin, “The Secret to Cultivating the Fruits of the Spirit: Steps to Develop a Christ-Like Character,” Medium, April 14, 2023, https://medium.com/@littlepreacher68/the-secret-to-cultivating-the-fruits-of-the-spirit-steps-to-develop-a-christ-like-character-a609d745b2ef.

    5 2コリント3:18.

    6 Max Lucado, “It’s a New Day: The Choice is Yours,” https://maxlucado.com/new-day-choice/.

    7 Rich Bitterman, “Fruits of the Spirit Prayer (Galatians 5),” Medium, September 9, 2023, https://medium.com/@richbitterman/fruits-of-the-spirit-prayer-galatians-5-d471e3e2cb2c.

  • 6月 2 他の人を励ます
  • 5月 26 キリストに従う者にとっての美徳: 自制・節制
  • 5月 19 第1コリント:第14章(26–40節)
  • 5月 12 キリストに従う者にとっての美徳: 優しさ・柔和
  • 5月 5 第1コリント:第14章(1–25節)
  • 2月 24 弟子の生き方(パート3): キリストにとどまる
  • 2月 1 第1コリント:第13章(1–13節)
  • 12月 30 第1コリント:第12章(12–30節)
  • 11月 11 第1コリント:第12章(1–11節)
   

信条

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