• 良きおとずれを伝えよう 時が良くても悪くても

  • あなたの手を神の手にあずけよう

  • 神はこの世のすべての人を愛してくださった

  • 地と、その中に住む者とは主のもの

  • まず神の国を求めよ

アンカー

ユーザーフレンドリーなデボーション記事

  • 人生の晩年における精神的回復力

    Resilience in the Autumn of Life
    July 20, 2026

    イエスからの言葉

    オーディオ所要時間: 10:41
    オーディオ・ダウンロード(英語) (9.7MB)

    すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである。だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。—2コリント4:15–16

    人生において、誰もが苦難や試練の時に直面するが、年を重ねてもその構造は変わらない。若い頃に経験した悩みや困難の多くは、年を重ねるにつれて過去のものとなるが、その代わりに新たな悩みや困難がしばしば現れる。

    若い頃は、人生の困難に対処したり、状況に合わせて変化また適応したりすることが、より簡単に思えたかもしれない。その頃、あなたは色々な意味で今より強く、回復力も高かったからだ。しかし、年を重ねるにつれて、自分の力だけでは不十分だとしばしば感じてきた。それによって、あなたはわたしにより近づき、わたしへの依存を深めていくことになる。

    何らかの虚脱感、痛み、不快感を覚えたときは、祈ってわたしに心を開きなさい。落胆したり、苛立ちを感じたり、混乱したり、恐れを感じたりするときは、いつでもあなたの手をわたしに委ねなさい。あなたの悩みをわたしに委ね、心をわたしに留めておきなさい。そうすれば、わたしはあなたに全き平安を与える(イザヤ26:3)。

    十分な恵み

    主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。… なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。—2コリント12:9–10

    人が生まれつき強く、健康で、才能に恵まれていると、周囲の人はついその人に注目しがちだ。しかし、人が弱く、苦しみながらもわたしを全面的に信頼しているなら、わが力はその弱さを通して輝きを放つことができる。

    あなたがわたしに頼ることを学べば学ぶほど、わたしだけで十分であり、わが恵みはあなたにとって十分であることに気づくようになる。そして、他の人々がそれを見れば、彼らもまたわたしを信頼することを学ぶようになる。あなたが弱いときにこそ、あなたは強くなることができる。なぜなら、わたしの力は、あなたの弱さの中でこそ完全に現れるからだ。

    だから、かつてできていたことができなくなったため、弱さや体調不良、落胆を感じる時にはいつでも、わたしがあらゆる苦難のときのいと近き助けであることを思い出しなさい(詩篇46:1)。わが力、恵み、平安、そして喜びこそが、あなたの力であることを思い出しなさい。あなたは、未来がどうなるかわからないかもしれないが、あなたのこれからの日々をすべて握っているわたしを知っている。わたしはあなたの友であり、あなたが直面するあらゆる状況において、あなたを世話し、無事に故郷へと導くだろう。

    私たちの慰め主

    神様は … 私たちが苦しみや困難にあえいでいる時、慰めと励ましを与えてくださるお方です。それは、苦しみの中にあって慰めと励ましを必要としている人々に、私たちも、神から受ける助けと慰めを与えることができるためです。私たちがキリストのために苦しめば苦しむほど、より豊かにキリストから慰めと励ましが与えられることは確かです。—2コリント1:4–5 リビングバイブル

    人生は苦闘であることもあるが、「わたしは決してあなたを離れず、あなたを捨てない」というわが約束を忘れてはならない(へブル13:5)。「わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:20)。わたしはあなたの苦しみを見ており、助けを求める声を聞いている。あなたが一人に感じる時も、わたしは共にいる。

    これまでの人生で、あなたは何度も、まるで動かせない山のように思える重荷に直面してきた。そうした時、あなたはわたしを信頼することを学び、それによってわたしとの絆が深まった。問題や困難の真っ只中で、わたしだけが与えることのできる平安を見出したとき、あなたは他の人々を慰めるための、わが愛の器となった。

    あなたの周りの世界には、不公平なものや、愛に欠けるもの、あるいは悪とさえ言えるものがたくさんあるかもしれない。しかし、「万事を共に働かせて、あなたの益とする」というわが約束を通してそれらを見るなら、あなたが直面するあらゆる心の痛み、問題、恐れから、わたしが必ず何か良いものを引き出すだろうと信頼できる。わが子よ、わたしはあなたを愛し、これからもずっと愛し続ける。あなたはわたしの心の中に、他の誰にも決して満たすことができない特別な場所を占めているのだ。

    あなたの宮の世話をする

    あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。—1コリント6:19–20

    年齢を重ねるにつれて、体力や能力に変化が生じるのは自然なことだ。この人生の段階での変化に抵抗するのではなく、それを受け入れ、新しいライフスタイルをありのままに楽しむことを学びなさい。抵抗することは、健康にさらなる負担をかけるだけでなく、幸せを損なうことにもつながる。

    活動的でいなさい。しかし、自分の能力以上のこと、または体の限界を超えて無理しようとしてはならない。負担の大きい仕事は他の人に任せなさい。自立していて、強く、活動的な生活に慣れているあなたにとって、「言うは易く行うは難し」であるのはわかっている。一歩引くのは難しいが、ある時点でそうすることが必要になる。

    できれば屋外で、毎日何らかの形で運動をするようにしなさい。運動は体調を維持し、睡眠の質を高め、全体的に元気でいるのに役立つ。あなたの気持ちを高め、全体的な健康状態を改善できる。自分の体を大切にするよう最善を尽くし、健康をわたしに委ね、あとはわたしに信頼しなさい。

    永遠の友

    あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。—ヨハネ14:1–2

    多くの幸せな年月を共に過ごした知人たち、最も親しい友人や愛する人たちの何人かが、あなたより先に来世へと旅立ってしまった。彼らがもうそばにいないことがどれほど辛いか、わたしはよく知っている。彼らを恋しく思って悲しくなったり、落ち込んだりしたときは、彼らは今、幸せな時間を過ごしているのだと思い出しなさい。彼らはこの世の悩みや心配事をすべて後にし、より良い場所にいるのだから。

    もうこの世にはいない大切な人たちのことを思い返すたびに、彼らと知り合え、友情や親交を分かち合えたことが大きな祝福だったことに気づくだろう。あなたたちが分かち合ったその親密さは、わたしからの贈り物だ。

    わたしはあなたを孤独なままにはしない。わたしたちが顔を合わせて再会するその日、わたしはあなたの目から涙をぬぐい、あなたは先に旅立った愛する人たちと再び一つになるだろう。まもなく、あなたと愛する人たちは再び共に過ごし、わたしがあなたのために用意した美しい住まいの中で永遠に生きるようになる。

    わたしは・・・

    あなたが疲れ果てた時、わたしはあなたの休み場になろう(マタイ11:28)。

    あなたが闇に囲まれている時、わたしはあなたの光になろう(ヨハネ8:12)。

    あなたが飢えている時、わたしはあなたの生きたパンである(ヨハネ6:51)。

    あなたが恐れている時、わが平安があなたを守る(ヨハネ14:27)。

    あなたはわたしのものだから、わたしはあなたにとって、これらすべてとなろう。

    あなたが孤独な時、わたしはあなたの友になろう(ヨハネ15:14–15)。

    あなたが疑っている時、わたしはあなたの信仰と勇気の源になろう(詩篇27:14)。

    あなたが力尽きた時、わたしはあなたの力になろう(詩篇46:1)。

    あなたを助ける者がいない時、わたしはあなたの執り成し手になろう(ローマ8:34)。

    わたしはあなたを無限に愛しているから、これらすべてのものとなろう。

    初版は2008年 2026年7月に改訂・再版 朗読:ガブリエル・ガルシア・バルディビエソ 音楽:マイケル・ドーリー

  • 9月 21 神が私たちの心の願いをかなえてくださらないとき
  • 9月 15 従順な僕のたとえ
  • 9月 12 言葉は、傷つけることも癒やすこともできる
  • 9月 6 費用の計算
  • 9月 4 人生の移り変わりに順応する
  • 8月 31 イエスの最後の現れと委任
  • 8月 29 あなたは大いに価値のある存在
  • 8月 25 誰が糸を引いているのか?
  • 8月 23 人生の嵐の中で、共にいてくださる方
   

ディレクターズ・コーナー

信仰を築く記事と聖書研究

  • 弟子の生き方(パート4): 神との関係

    [The Life of Discipleship, Part 4: Relationship with God]

    September 30, 2025

    神との関係——神との交わり——は、弟子としての歩みの中心にあります。私たちはクリスチャンとして、神との個人的な関係を持つという祝福、栄誉、機会に恵まれています。宇宙の創造主である方が、私たちと交わりたいと願われ、私たちがご自身と和解できるように、御子イエスを全人類のために十字架で死なせるほどの大きな犠牲を払われたとは、私たちには測りがたいほどのことです。使徒パウロが書いているように、「神は真実なかたである。あなたがたは神によって召され、御子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに、はいらせていただいたのである」(1コリント1:9)。

    イエスは、父との関係のために時間を取ることについて、手本を示されました。福音書には、イエスが早朝に起きて祈られたこと(マルコ1:35)、祈るために群衆のいない所に身を避けられたこと(ルカ5:15–16)、夜を徹して祈られたこと(ルカ6:12–13)が記されています。イエスは、神と交わって、親しく語り合い、神の指示を受け取るための時間を取られました(ヨハネ5:30)。

    神との交わりとは、神の臨在の中で時を過ごし、神を礼拝し、祈りのうちに神に語りかけ、神の言葉を読み、その御言葉を通して神が語られることに耳を傾け、さらに、神が私たちに個人的に語りかけてくださる御声に耳を傾けることを意味します。私たちは、神がどのようなお方であり、私たちのために何をしてくださったかを思って、神を賛美し、感謝するための時間を設けることで、「さんびのいけにえ … を、たえず神にささげ」る(ヘブル13:15)と共に、1日を通して神と交わる必要があります。大きな愛をもって私たちの命を支え、私たちとの交わりを望んでおられる創造主であり救い主である神と、つながるための時間を取る必要があるのです。

    主との交わりの時間を取るとき、主はそれに応じてくださいます。私たちが、他にしていることをやめて、主の臨在の中へ入るとき、私たちは主に耳を傾けてその指示を受け取る姿勢になっているので、主は助言をもって私たちを導き(詩篇73:24)、御心を行うことを教えてくださいます(詩篇143:10)。

    祈り、神を賛美して礼拝すること、また、私たちの人生——希望や夢、成功と失敗——について神に語りかけ、罪を告白し、神の助けを求め、神を愛していると告げ、神の語られることに耳を傾けることは、どれもみな、私たちが神と持つべき交わり、友情、関係の一部なのです。

    双方向のコミュニケーションは、人間関係における重要な要素であり、主との交わりも例外ではありません。神の声に耳を傾けることと、神に語りかけることの両方が必要なのです。神に耳を傾ける第一の方法は、神の言葉である聖書を読むことです。私たちが聖書を読み、その内容について考え、黙想し、それが自分にとってどんな意味があるのか、その意味することを日々の生活にどう当てはめられるのかと自問するとき、神はそれを通して語りかけてくださいます。また、私たちが心を静めて、主の静かで小さな声に耳を傾けるときにも、神は語ってくださいます。

    私たちが心と生活を主に向けて開き、重荷や悩み、恐れ、また希望や喜び、夢を分かち合うとき、神との関係は深まっていきます。神の言葉を学んで瞑想し、それを自分の生活にどう当てはめるべきかを学ぶ時間を設けることで、私たちは神への信仰と信頼、理解と礼拝を深めていくのです。祈りを通して神と対話し、神を愛し、神の御声に耳を傾ける時間を取り、神から学び、日頃から神と交わりを持つこと、これらすべてが、神に近づき、神に似た者となるための重要な要素です。以下の記事でも、それが強調されています。

    キリストとの交わりが意味するものとは

    神が私たちの人生に関わってくださっているとは、実に驚くべきことです。キリストと交わるとは、私たちがキリストの命にあずかるだけでなく、キリストもまた私たちの命に関わってくださることを意味します。私にとって、この気づきは、これまでとは違った視点をもって人生を歩む助けとなりました。…

    試練や困難な状況が訪れたとき、このことは、イエス・キリストがどのような状況においても、私たちと共にいてくださることを認識する助けとなります。また、物事が順調に進んでいるときにも、イエスが今もなおすべての状況において、私たちと共におられることが分かります。イエスは誰をも包み込み、親密に寄り添う方であり、私たちが自分で物事を解決するよう、一人きりにさせることはありません。イエスは私たちの人生に関わってくださるのです。…

    聖書で「交わり」という言葉が出てくるとき、それは単なる関係を示す概念ではありません。関係という言葉は、「つながっている状態」を意味します。私たちはすでにキリストとつながっていますが(ヨハネ15章)、さらに深いもの、すなわち「交わり」を持つよう招かれています。

    神との関係は、神とつながるための最初の招きであり、イエスによる救いは、私たちを神との関係へと導きます。しかし、神との交わりは、神との親密な関係へと招くものです。それは、神との継続的なつながりであり、神と共に時を過ごすための手段です。… 私たちは、神との関係を持っている(すなわち、神とつながり、神との絆が回復されている)だけでなく、神との交わりも持つことができます。神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩き、互いに交わりを持つのであり、御子イエスの血が、すべての罪から私たちを清めるのです(1ヨハネ1:6–7)。

    これこそが、私たちがより主に似た者となり、自分の人生に主の命を見るための道であり、手段です。私たちがイエスと交わるとき、私たちはより主に似た者となって、主を映し出すようになり、それが神との関係を深めるのです。—ターニャ・レムキフ [1]

    祈りの原則

    弟子たちが祈り方を教えてくださいとお願いした時、イエスは「主の祈り」を教えられました。この祈りを祈るとき、私たちは、神を聖なる方、すべての上におられる方としてあがめ、地において、また自分の人生において、神の御心がなされるように願い、日々の必要を神に頼っていることを認め、自分の罪が赦されることを求めます(マタイ6:9–13)。

    また、イエスは弟子たちに、祈りにおいて油断することなく、「目をさまして祈っていなさい」と教えられました(マタイ26:41)。イエスの模範から、私たちは一人になって祈ること(ルカ6:12)、感謝して祈ること、他の信者たちと共に祈ること、そして他者のために執り成しの祈りをすること(ヨハネ17:20–26)を学びます。生活の忙しさから離れて、一人きりで祈りの時間を持ち、また、他の人たちと共に祈り、あるいはその人たちのために執り成すというイエスの手本は、その足跡をたどりたいと願う人たちのための道しるべとなっています。

    祈りについて、イエスが信者たちに教えられた最も基本的な事柄の一つとは、父なる神との正しい関係を持つことでした。イエスは常に父に祈り、弟子たちにも同様にするよう教えられました。私たちは、神の家族に養子として迎え入れられた、神の息子であり、娘です。ですから、祈るとき、私たちは「アバ」、つまり私たちの父の前に出ているのです。

    クリスチャンとして、私たちは祈りによって神の臨在の中に入るという、計り知れない特権にあずかっています。私たちは神と交わり、神を賛美し、礼拝することができます。また、神が成してくださったすべてのことと、神の慈しみと恵み――私たちに対する身に余る恩寵――に感謝を捧げることができます。神の御前に心をさらけ出し、最も内なる思いや願い、懸念を打ち明け、悩みや問題、必要を神に委ねることができます。助けを必要としている人々のために執り成しの祈りをし、愛する人々を神のご配慮に委ねることができます。あらゆる心配事や不安、懸念を神に委ねることができます。

    弱く、疲れ果てているとき、心の重荷を神に打ち明けることができます。しくじり、過ちを犯し、あるいは間違ったことをし、罪を犯したとき、それを告白して神の赦しを求め、そして赦していただくことができます。嬉しいときも悲しいときも、健やかなときも病んでいるときも、豊かなときも乏しいときも、神と語り合うことができます。なぜなら、この関係は、私たちを造られただけでなく、私たちを深く愛し、私たちの人生のあらゆる側面に関わりたいと願っておられる方との関係だからです。祈りは、神を私たちの日々の生活に招き入れ、私たちの人生に直接かつ親密に関わってくださるようお願いするための手段です。

    祈りとは、私たちが一方的に話し続け、神がただ聞いてくださることを期待するような、一方通行の会話であってはなりません。祈るときには、私たちもまた、読んだ聖書の言葉を通して、敬虔な教師や説教者が語っていることを通して、あるいは神の前に静まり、心を開いて神の声を聞くことを通して、神が私たちに伝えようとしておられることに耳を傾ける必要があります。私たちが御言葉を黙想するとき、読んだ御言葉を日々の生活にどう適用すべきかを示してくださるよう求めるとき、そして心の中を静め、神が私たちに語りかける機会を与えるとき、神はさまざまな方法で私たちに語りかけてくださいます。

    イエスは、ご自身の模範と教えを通して、祈りの重要性を教え、そして最も大切なことに、私たちの祈りが神との親しい関係に根ざしたものであるべきだと教えられました。祈りのために時間を設けることに加えて、私たちは絶えず神との交わりの中にいるよう求められています。それは、神と継続的に対話すること、つまり、一日を通して神に語りかけ、導きを求め、神を賛美し、神の声に耳を傾けることです。これが、「絶えず」祈りなさいというパウロの一般的訓戒(1テサロニケ5:17)の意味である、と捉えることができます。現実的な話として、仕事や生活に関わる責任に追われる忙しい日々の中で、長い間すべての活動を止め、祈りに専念できるような時間はないかもしれません。しかし、一日を過ごす中で、仕事や務めを果たしながら、自分の思いや活動、そして他者とのコミュニケーションを絶えずイエスに委ねることによって、「イエスの臨在を実践する」[2] ことができます。

    祈りに動かされて

    まず、祈りましょう。飢えた人を助けるために旅立つのですか。その任務を祈りに浸してから出かけましょう。不正の結び目を解こうとしているのですか。祈りましょう。人種差別と分断に満ちた世界に疲れていますか。神もそうです。そして神は、そのことについてあなたと語り合いたいと願っておられます。

    何よりも、祈りましょう。神は私たちに、絶えず説教しなさいと命じられましたか。絶えず教えなさいと命じられましたか。絶えず委員会の会合を開きなさいと命じられましたか。絶えず歌いなさいと命じられましたか。いいえ、そうではなく、「絶えず祈りなさい」と命じられたのです(1テサロニケ5:17)。

    イエスは、ご自身の家が学びの家と呼ばれると宣言されたでしょうか。それとも、交わりの家でしょうか。音楽の家でしょうか。展示の家でしょうか。活動の家でしょうか。いいえ、そうではなく、イエスは「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである」と言われたのです(マルコ11:17)。

    これほどの結果が保証されている霊的な活動は、他にありません。「あなたがたのうちの二人が、どんなことについても、地上で心を合わせて祈るなら、天におられるわたしの父は行動を起こしてくださる」(マタイ18:19 英語MSG訳)。神は、謙虚で祈り深い心に動かされます。祈りに動かされる方なのです。—マックス・ルケード [3]

    交わりへの招き

    神は人類への愛ゆえに、イエスの生涯と死と復活を通して、私たちを罪に対する罰から贖い出されました。私たちは、神の愛する御子の犠牲的な死を通して、神の愛を経験し、神との交わりを回復します。神が私たちを愛し、赦してくださったので、私たちは神を愛し、畏れ敬うのです。

    「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)という言葉を読むとき、私たちはそれが「神は私を個人的に愛しておられる」という意味だと理解します。私たちの救い、また神との関係は、ただひとえに、愛の贈り物として私たちに与えられたイエスの御業に基づいています。神の愛は無条件であり、私たちが犯すかもしれない過ちや罪や失敗にも、また落胆の感情にも、左右されることがありません。私たちは、救いによって神の御子と結ばれているという、ただそれだけの理由で、神の子の一人として神に愛されています。「どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである」(ローマ8:38–39)。

    神との関係を求める気持ちは、祈りと礼拝と聖書を読むことによって神とつながっているよう、私たちを動かます。また、神に仕え、神の愛と真理を他者と分かち合うことで、信仰を実践するよう、私たちを動かします。弟子として、私たちは神との交わりと、私たちの人生における神の臨在を、熱心に求めるのです。

    イエスが黙示録の中で、ある教会になされた呼びかけは、今日の私たちへの呼びかけでもあります。「わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう」(黙示録3:20)。イエスの時代の文化では、食事を共にするよう招くことは、関係を築こうという招きを意味していました。弟子として、私たちはイエスとの関係をさらに深め、イエスをよりよく知り、より深く愛そうとしています。また、私たちがイエスの臨在の中で過ごすとき、その結果として、イエスの性質である愛、優しさ、思いやり、温かさ、赦し、あわれみを他者に示すようになります。

    戸を開ける者たちに対して、イエスは親しい交わりを約束し、それを食事を共にする姿にたとえられました。… 今日もイエスは、「わたしは戸の外に立って、たたいている」と言い続けておられます。… 主は、完全な交わりを持とうと、熱心に招いておられるのです。天の御国の鍵を持っておられる方(マタイ16:19; 黙示録1:18)が、私たちすべてに、ご自分の声を聞き、戸を開けるよう呼びかけておられます。主が入って来て、私たちと親密な結びつきを持てるようにです。イエス・キリストは、その呼びかけに応じる者たちに、永遠の命への開かれた戸と、天において主と共に治めるという報いを保証しておられます。—Got Questions [4]

    噛みしめるべき言葉

    私たちと神との関係は、まさにその言葉どおり、関係です。神の招きは、明確でシンプルです。「ここに来なさい。話をしよう。」 そして、私たちの応答は、こうです。「主よ、参ります」(詩篇27:8 リビングバイブル)。私たちは神と共にとどまり、神は私たちと共にとどまってくださいます。—マックス・ルケード

    私たちは、神との意識的で個人的な関係を持つために造られました。神を知る恵みにあずかった私たちは、創造主との個人的な関係へと招かれています。… 神は、私たちの人生の苦楽をすべて、共にしてくださるお方です。私たちが何一つ隠し立てしないなら、神はそのすべてを、何の問題もなく受け止めてくださいます。それどころか、私たちが人生のどんな地点にいるときにも、神は私たちを包みこんでくださるのです。—ジョビアン・ワイゲル

    神との友情は、人生のあらゆる経験を神と分かち合うことで築かれます。もちろん、毎日、神とのデボーションの時間を持つ習慣を身につけることは大切ですが、神が望んでおられるのは、あなたの予定表にある約束以上のものです。神は、あらゆる活動、あらゆる会話、あらゆる問題、そしてあらゆる思いに関わることを望んでおられます。あなたは一日を通して、その瞬間に自分がしていることや考えていることについて、絶え間なく終わりのない会話を神と続けることができます。「絶えず祈る」とは、買い物や運転、仕事、その他何であれ日常的なことをしているときも、神と語り合うということです。—リック・ウォレン

    聖書は何と言っているか

    「目をさまして、感謝のうちに祈り、ひたすら祈り続けなさい」(コロサイ4:2)。

    「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである」(1ヨハネ3:1)。

    「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである」(1テサロニケ5:16–18)。

    祈り

    天の父よ、私はあなたとの関係をもっと深めたいと願っています。あなたをもっと親しく知り、あなたの性質をもっと豊かに映し出したいのです。… あなたへの信仰と信頼が増し加わりますように。あなたの御言葉への理解を深め、それを日々の生活に適用できるよう、お助けください。私の祈りの生活を強め、あなたの声に耳を傾けることを教えてください。私の人生において成熟する必要のある領域を示し、その課題に立ち向かう勇気を与えてください。日々、自分自身に死に、キリストのために生きることができますように。謙遜と思いやり、そして他者への愛において、成長させてください。主よ、あなたが本来の私として造られたその姿になるよう、私を形作ってください。私の人生が、あなたの変革の力の証となりますように。イエスの御名によって、アーメン。[5]


    1 Tanya Remkiv, “What Does Fellowship with Christ Mean,” December 19, 2022, https://tanyaremkiv.com/2022/12/19/what-does-fellowship-with-christ-mean/

    2 ラウレンシオ修士(ブラザー・ローレンス)が勧めた「イエスの臨在の実践」とは、人生のあらゆる側面において神の臨在を絶えず意識するよう促す、霊的な訓練です。それは、日常の何気ない活動の最中であっても、一日を通して積極的に祈りと黙想を行うことによって、イエスとの深く親密な関係を育むことなのです。

    3 Max Lucado, God Is with You Every Day: 365-day Devotional (Thomas Nelson, 2015),22.

    4 “What Did Jesus Mean When He Said, ‘I Stand at the Door and Knock’?” GotQuestions.org, https://www.gotquestions.org/I-stand-at-the-door-and-knock.html.

    5 “10 Powerful Prayers to Get Closer to God and Find Stillness in His Presence,” My Prayer Item, https://myprayeritem.com/10-powerful-prayers-to-get-closer-to-god/.

     

  • 6月 9 すべての美徳の実践
  • 6月 2 他の人を励ます
  • 5月 26 キリストに従う者にとっての美徳: 自制・節制
  • 5月 19 第1コリント:第14章(26–40節)
  • 5月 12 キリストに従う者にとっての美徳: 優しさ・柔和
  • 5月 5 第1コリント:第14章(1–25節)
  • 2月 24 弟子の生き方(パート3): キリストにとどまる
  • 2月 1 第1コリント:第13章(1–13節)
  • 12月 30 第1コリント:第12章(12–30節)
   

信条

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パウロがテサロニケの信徒に宛てた書簡の研究と、その教えがいかに現在に当てはめられるか
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