アンカー

  • 神の計画

    God’s Plan
    August 12, 2019

    ピーター・アムステルダム

    オーディオ所要時間: 9:36
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    新約聖書の核となる教えは、聖書中で最も美しい節のひとつである次の言葉に見出されます。「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」[1]

    この節は、驚くべき真実を明かしています。宇宙の創造主が、三位一体の第二位格である御子、神イエスを送るほどに人類を愛して下さったというのです。それは、イエスが人間となり、私たちの犯した罪の身代わりとなって死ぬことにより、私たちがその罪のために罰を受けることがないようにするためでした。私たちは罰を受けて当然であるというのに。イエスが犠牲によって私たちの罪の代価を支払って下さったので、私たちは永遠の命をいただく機会にあずかっています。

    世界の創造の前にすでに決定されていた神のご計画は、人類に対する神の愛に根差しています。父、御子、聖霊は、私たちを愛しておられます。そして、私たちが罪の究極の結果である霊的な死と神からの隔て、つまり聖書では地獄と呼ばれているものから救い出される方法を備えて下さったのです。

    神は冷酷で怒りに燃えた神であると感じている人がいます。人が神に対して犯した罪について気を害しているので、厳しい裁きを与え、彼らが罰せられることを自分勝手な気持ちで求めているのだと。しかし、実際にはかなり違っています。神の性質には、聖さ、正義、公正、怒りという属性が備わっているため、ご自身の神性どおりに、神は罪を裁かれなければなりません。

    神はすべての人間に、その犯した罪にふさわしく、当然の罰を与えることもおできになりました。しかし、ご自身の神性には愛や憐れみ、恵みという属性も備わっているため、ひとりも滅びることがないことを望んでおられるので[2]、人類があがなわれるための道を作ってくださったのです。このあがないは神の愛に根差しています。神はそうしてくださる「ほどに、この世を愛して下さった」のです。神の愛がどのようなものかというと、私たちは罪びとであり、神に対して罪を犯しているのに、神はその愛によって、私たちが罪のゆえに受けて当然の罰から救い出される方法を作り出して下さったということです。救いについての神のご計画は、人類に対する神の憐れみと愛の表れです。

    まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。[3]

    神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。[4]

    初めから

    神は宇宙を創造なさる前から、自由意志を持つ人間は罪を犯すことになるとご存知でした。そこで、救いの計画により、人類を罰から救う方法を作り出されたのです。

    神は、人類を救ってあがない、また人類と和解することを強く願っておられます。神には私たちを救う義務はありません。ただ私たちが罰を受けるに任せることだってできたのです。しかし、そうはされませんでした。私たちへの愛ゆえに、神は、私たちをあがなう方法を設けられました。神は初めから救いの計画をお持ちであり、それはアダムとエバが最初の罪を犯したときに始動し、イエスの死と復活で完結しました。

    神は全知の創造者であり、アダムとエバが罪を犯したことに驚きはされませんでした。彼らが自由意志により神に逆らう選択をするだろうことはご存知だったのです。将来を予知しておられたので、救いの計画を前もってお立てになっていました。

    救いの計画には、イスラエル民族を呼び出すことが盛り込まれていました。この民族に対して、ご自身を啓示し、戒律を与えるというものです。イスラエル民族に語った言葉によって、神は唯一で真実の神であるご自身についての情報を明かし、また律法を示されました。イスラエル民族は神の啓示を保持し、幾世代にもわたって伝えていくことによって、それを絶対に失わないようにしていました。イスラエル民族の子孫として、神であり人である方、神の御子が送られ、その方を通して、救いが人類にもたらされました。

    イスラエル民族の歴史は、イエスを通して人類に救いをもたらすために神がなさった下準備の歴史なのです。旧約聖書には、メシアの生涯と使命に関する預言だけではなく、受肉した神である御子を通して救いがもたらされることの予示である数々のことも記載されています。

    創世記の随所に、神に犠牲を捧げることが書かれています。カインとアベルの犠牲から始まり、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、その他の人たちが犠牲を捧げているところです。その中で特に、アブラハムが自分の子であるイサクを犠牲にするよう神に求められる話は、神が人類の罪のためにご自身の御子を犠牲にされたことの予表となっています。イサクが父アブラハムに、犠牲の子羊はどこにあるのかとたずねた時、アブラハムは神が備えて下さると答えました。アブラハムが祭壇の上で息子を屠ろうとしたその時に、主は彼に、やぶにひっかかった雄羊を示され、アブラハムは息子の代わりにその雄羊を犠牲としました。神への犠牲として、イサクの代わりに子羊を捧げたことは、代理犠牲の概念を表しています。これは、のちになってから神がモーセを通してイスラエル民族に与えられた、罪のあがないとしての動物犠牲システムの土台となっています。神が雄羊を備えて下さったことは、人類の罪のための犠牲として御子を備えて下さったことを予示しています。[5]

    エジプトから救い出されて2年目に神は、動物犠牲が罪をあがなうという、レビ族による犠牲システムを始めるよう、モーセに指示されました。[6] 毎年、贖罪(あがない)の日には、全国民の罪のために特別の犠牲が捧げられました。まず大祭司は自分自身の罪のために犠牲を捧げ、次に民のために特別の犠牲を捧げます。

    旧約聖書の犠牲には、身代わりを通して罪があがなわれ、和解が行われるという概念が見られます。イサクの代わりに雄羊が犠牲となったと同様、動物は奉納者の罪の代わりに犠牲となりました。このような旧約聖書の犠牲は過去の罪をあがなうためのものであり、罪が犯されるたびに、繰り返し犠牲を捧げる必要がありました。

    イエスの死と復活によって救いがもたらされるという神の計画は、人類が存在する前からある、人類のあがないの計画です。神は、その計画を旧約聖書の中で明かし始められました。それから新約聖書の時代が来ると、バプテスマのヨハネが「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」という言葉を発し[7]、その時から、ご計画の全体像が明かされるようになったのです。

    神の子羊

    イエスの死によって、つまり、イエスが私たちの罪のために私たちに代わって血を流すという犠牲によってあがなわれるという神の計画の成就は、新約聖書の至るところで繰り返し述べられています。イエスこそが犠牲になった子羊であり、私たちに変わって死んで下さり、あの贖罪の山羊のように、私たちの罪をご自身の身に負って下さったのです。

    イエスは、罪の奴隷状態から私たちを救って下さるあがない主です。その死と復活は、あがないに関する神の計画の成就なのです。神は今までいつもご自身の被造物に対して、聖く、義であり、公正な存在でした。また、愛情深く、憐れみ深く、恵み深い方でもあります。そして、私たちはこれまでで一番大いなる犠牲からの恩恵を受けているのです。

    キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。[8]

    この御旨に基きただ一度イエス・キリストのからだがささげられたことによって、わたしたちはきよめられたのである。…彼は一つのささげ物によって、きよめられた者たちを永遠に全うされたのである。[9]

    わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである。[10]

    まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。[11]

    初版は2012年10月 2019年8月に一部を抜粋・再版
    朗読:ガブリエル・ガルシア・ヴァルディヴィエソ


    1 ヨハネ 3:16.

    2 2 ペテロ 3:9.

    3 ローマ 5:8.

    4 1 ヨハネ 4:9–10.

    5 創世記 22:6–8, 13.

    6 出エジプト 40:17, 29.

    7 ヨハネ 1:29.

    8 エペソ 5:2.

    9 ヘブル 10:10,14.

    10 エペソ 1:7.

    11 ローマ 5:8–9.

  • 1月 6 聖書を内に取り入れる
  • 12月 27 質素な生き方を培う
  • 12月 25 クリスマスの商業主義:書き直し
  • 12月 22 人生の一片
  • 12月 14 クリスマスの喜びを見つける
  • 12月 9 「幼な子イエスがいなければ、7162にお電話を」
  • 12月 1 最高の友を称える
  • 11月 26 感謝に満ちた心
  • 11月 11 忍耐を、しかし一体いつまで?
   

ディレクターズ・コーナー

  • イエス、その生涯とメッセージ:父と子(パート2)

    [Jesus—His Life and Message: The Father and the Son (Part 2)]

    October 8, 2019

    前回の記事の最後に、イエスの言葉を聞いて、イエスをつかわされた方を信じる者は、永遠の命を持ち、すでに「死から命に移っている」 [1] とイエスが言われたことに触れました。その後に、こう語っておられます。

    よくよくあなたがたに言っておく。死んだ人たちが、神の子の声を聞く時が来る。今すでにきている。そして聞く人は生きるであろう。[2]

    ユダヤ人は死者の復活(よみがえり)を信じており、そのことは、マルタがイエスに語った、自分の兄弟ラザロが「終りの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています」 [3] という言葉にも表れています。ユダヤ人は神が死者を復活させてくださるものと考えていました。(そして今もそうです。) しかし、その復活が「神の子の声」によってなされるというのは、彼らには馴染みのない考え方でした。

    この場合、イエスが話しておられたのは、将来の死者の復活のことではありません。現在の復活のことであり(「神の子の声を聞く時が来る。今すでにきている」 )、肉体的な死者ではなく、霊的な死者のことを指しています。イエスは、霊的に死んでいる者がイエス(神の子)の声、つまりメッセージを聞き、それを信じる者は生きると語っておられたのです。(ラザロ、[4] ナインという町に住むやもめの息子、[5] ヤイロの娘[6] など、イエスがご自身の声を用いてよみがえらされた肉体的な死者もいたことは言うまでもありませんが、ここで焦点となっているのは霊的な死者です。)

    それは、父がご自分のうちに生命をお持ちになっていると同様に、子にもまた、自分のうちに生命を持つことをお許しになったからである。[7]

    父なる神こそが命の源であり、その息吹によって人に命を与えてくださることは、旧約聖書で明らかです。

    主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。[8]

    命は神からの贈り物とみなされています。

    命といつくしみとをわたしに授け、わたしを顧みてわが霊を守られた。[9]

    神の霊がわたしを造り、全能者の息吹がわたしに命を与えたのだ。[10]

    モーセは、「主はあなたのいのち」 [11] と語っています。旧約聖書は、父なる神がすべての命の源であることを明確に示しています。ただ、それにご自身の命は含まれません。父は、初めから命を持つ存在であり、自存する方だからです。

    ヨハネの福音書は、次にあげるように、父がご自分のうちにお持ちになっているのと同じ命を、イエスのうちにも与えられていることを強調しています。

    そのあかしとは、神が永遠のいのちをわたしたちに賜わり、かつ、そのいのちが御子のうちにあるということである。[12]

    神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。[13]

    わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。[14]

    わたしは、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく…。[15]

    イエスがご自身のうちに命を持っておられるとともに、「子は人の子であるから、[父は]子にさばきを行う権威をお与えになった」 [16] とあります。この節は、この章の少し前に書かれた次の言葉を踏まえたものです。「父はだれをもさばかない。さばきのことはすべて、子にゆだねられたからである。」 [17] また、「父のなさることであればすべて、子もそのとおりにするのである。」 [18] 旧約聖書は、神は裁き(審判)を行う方であると明言しており、「全地をさばく者」 [19]「審判者であられる主」 [20] と呼んでいます。そして、この件についても、父がなさることを子もするのだというわけです。

    このことを驚くには及ばない。墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き、善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう。[21]

    イエスは驚くなと言っておられるので、それはつまり、聞いていた人たちが驚いたということでしょう。彼らが驚くべきではないこととは何でしょうか。おそらく、以下にあげるように、この章の19節からの主題である、父がなさることが何であれ子もそれに携わるということでしょう。

    父のなさることであればすべて、子もそのとおりにするのである。[22]

    父が死人を起して命をお与えになるように、子もまた、そのこころにかなう人々に命を与えるであろう。[23]

    父は…さばきのことはすべて、子にゆだねられた…。[24]

    子を敬わない者は、子をつかわされた父をも敬わない。[25]

    父がご自分のうちに生命をお持ちになっていると同様に、子にもまた、自分のうちに生命を持つことをお許しになった…。そして…子にさばきを行う権威をお与えになった。[26]

    これはすべて、尋常ではない発言であり、この章の前の方に書かれていた、「ユダヤ人」がイエスを殺そうと計るようになった理由を思い出させます。つまり、「神を自分の父と呼んで、自分を神と等しいものとされた」 [27] ということです。

    それからイエスは、「墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞[く]…時が来る」 と言われたわけですが、ここでイエスが話しておられるのは、最後の「時」、つまり、(罪を犯して霊的に死んでいる人だけではなく)実際に死んでいる人たちがイエスの声を聞くようになる時のことです。ここでもまた、神がご自身の父であることを強調して、ただ神のみがなされるとユダヤ人が考えていることを自分もするのだとイエスは告げておられます。

    イエスは、墓の中にいて主の声を聞く者たちについて話を続けて、こう言われました。「善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる。」 [28] 死んでいる者がすべて主の声を聞いて復活し、その中には生命を受ける人もいれば、裁きを受ける人もいるというイエスのこの宣言は、ダニエル書にある教えと合致したものです。

    地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者は目をさますでしょう。そのうち永遠の生命にいたる者もあり、また恥と、限りなき恥辱をうける者もあるでしょう。[29]

    使徒パウロも、使徒行伝でこの点を持ち出しています。

    正しい者も正しくない者も、やがてよみがえる…。[30]

    生きている間に善を行った人は(その人がイエスを信じているかどうかとは関係なく)復活して生命を受け、悪を行った人は復活して裁きを受ける、つまり、人は完全にその行いによって裁かれるとイエスが言われたのだという印象を持つ人もいるかも知れません。しかし、この発言を正しく理解するには、イエスがこの2つ前の章でニコデモに話しておられたことを振り返る必要があります。イエスはニコデモに、「人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛した」[31] また、「悪を行っている者はみな光を憎む。そして…光にこようとはしない」 [32] と言われました。さらに、それに続けて、「真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである」 [33] と語っておられます。

    言い換えると、その人の「行い」が善であるか悪であるかは、その人が「光に来る」かどうかで決まるということです。この福音書の他の箇所で、イエスは「わたしは世の光である」 [34] と言っておられます。世の光であるイエスという「光に来る」こと、「わたし(イエス)の言葉を聞く」[35] こと、そして「わたし(イエス)の声を聞く」ことは、すべて同じことを意味しており、それはイエスを信じることです。善を行い、生命を受けるために復活した人々とは、イエスを信じた人々なのです。そして、悪を行い、裁きを受けるために復活した人々とは、イエスを信じない人々です。ある人は、次のように説明しています。

    これは、救いが善行にもとづいているという意味ではありません。なぜなら、この福音書自体が、人はイエス・キリストを信じる時に永遠の命を得るということを、幾度も明確に示しているからです。しかし、人の生き方が、その人の告白する信仰を測るものとなります。[36]

    イエスは続けて、こう言われました。

    わたしは、自分からは何事もすることができない。ただ聞くままにさばくのである。そして、わたしのこのさばきは正しい。それは、わたし自身の考えでするのではなく、わたしをつかわされたかたの、み旨を求めているからである。[37]

    イエスは少し前に、父が「さばきのことはすべて、子にゆだねられた」 と言われましたが、ここでは、裁きを行う者としてのご自身の役割について語り始めておられます。まず、父により頼んでいることを強調して、自身の考えで裁くことはせず、父から聞くままに裁くのであると言われました。イエスは前の方で、父のなさることを見てする以外に、自分からは何事もすることができないと話しておられます。そして今回は、自身の考えではなく、「ただ聞くままに」裁きを行うと言われましたが、それは、ただ父によって促されるままに、父の指示に従って、父の御旨に沿って裁きを行うということです。このようにして、イエスの裁きは神の裁きとなるわけです。

    もし、わたし[ひとり]が自分自身についてあかしをするならば、わたしのあかしはほんとうではない。わたしについてあかしをするかたはほかにあり、そして、その人がするあかしがほんとうであることを、わたしは知っている。[38]

    イエスがここで話しておられるのは、訴訟における証言のことであり、次にあげる旧約聖書の律法によれば、ただひとりの証言(あかし)では法的に有効ではないという点でした。

    どんな不正であれ、どんなとがであれ、すべて人の犯す罪は、ただひとりの証人によって定めてはならない。ふたりの証人の証言により、または三人の証人の証言によって、その事を定めなければならない。[39]

    イエスは、もし他の誰も自分のために証言してくれず、ただイエスが自分自身について証言するだけであれば、その証言は有効とみなされないことを認められました。

    しかし、イエスはその上で、ご自身の証言は有効であり、その理由は「わたしについてあかしをするかたはほかにあり、そして、その人がするあかしがほんとうであることを、わたしは知っている」 [40] からであると言われました。ご自身についてのイエスの証言は、ふたり目の証人である父がおられるので、真実(ほんとう)であるということです。この時点では、父が子の証人であるということを「告発人」たちは分かっていませんが、イエスはまもなくそのことを明確にされます。

    あなたがたはヨハネのもとへ人をつかわしたが、そのとき彼は真理についてあかしをした。[41]

    イエスが話しておられるのは、エルサレムのユダヤ人たち、おそらくはユダヤ教指導者かパリサイ人あるいはその両方が、ヨルダン川の向こう側まで代表団をつかわし、バプテスマのヨハネ(洗礼者)に、彼は何者なのか、またなぜバプテスマを授けているのかを尋ねた時のことです。イエスは、ヨハネが彼らに対して「真理(真実)」についてあかしをした [42] ことを思い起こさせられました。イエスが後にされることを、ヨハネはその時にしていたのです。エルサレムのユダヤ人たちが、ヨハネのメッセージに対して一体どのような反応を示したのかは書かれていませんが、質問に対して満足の行く答えがもらえたことや、ヨハネをよく思っていたことが、イエスの言葉から伺えます。

    おそらくこの時、ヨハネは獄に捕らわれているか、死んだ後だったことでしょう。イエスはヨハネと彼のした良き仕事をほめつつ、彼の宣教はもはや過去のものであることを語っておられます。

    ヨハネは燃えて輝くあかりであった。あなたがたは、しばらくの間その光を喜び楽しもうとした。[43]

    イエスはこの発言の前に、ご自身のメッセージは人間から出たものではないことをはっきりさせられました。

    わたしは、人間による証しは受けない。しかし、あなたたちが救われるために、これらのことを言っておく。[44]

    イエスは、ヨハネの証しによって、人々が救いへの道を歩み始めたことを示されたのです。12弟子の中にも、イエスについて来る前にヨハネの弟子だった者たちがいます。[45]

    ヨハネの宣教が成果を挙げていたのと同じく、イエスの証しも成果を挙げていましたが、イエスは、「わたしにはヨハネの証しにまさる証しがある」 [46] と言われました。ヨハネも同じくこう言っています。「『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである。」 [47] ヨハネは他にも、イエスが宣教を開始された時、「わたしはキリストではない」 [48] と語り、さらにイエスについて証しをして、こう言っています。「わたしは、御霊がはとのように天から下って、彼の上にとどまるのを見た。…『ある人の上に、御霊が下ってとどまるのを見たら、その人こそは、御霊によってバプテスマを授けるかたである。』 わたしはそれを見たので、このかたこそ神の子であると、あかしをしたのである。」 [49]

    (パート3に続く)


    注:

    聖書の言葉は、特に明記されていない場合、日本聖書協会の口語訳聖書から引用されています。


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    1 ヨハネ 5:24.

    2 ヨハネ 5:25.

    3 ヨハネ 11:24. イエスがラザロをよみがえらされたことについて、詳しくはこちらを参照:『イエス、その生涯とメッセージ:奇跡(パート18)』

    4 ヨハネ 11:1–44.

    5 ルカ 7:11–15.

    6 マルコ 5:22–43.

    7 ヨハネ 5:26.

    8 創世 2:7.

    9 ヨブ 10:12.

    10 ヨブ 33:4.〈新共同訳〉

    11 申命 30:20.〈新改訳〉

    12 1ヨハネ 5:11.

    13 ヨハネ 3:16.

    14 ヨハネ 6:51.

    15 ヨハネ 10:28.

    16 ヨハネ 5:27.

    17 ヨハネ 5:22.

    18 ヨハネ 5:19.

    19 創世 18:25.

    20 士師 11:27.

    21 ヨハネ 5:28–29.

    22 ヨハネ 5:19.

    23 ヨハネ 5:21.

    24 ヨハネ 5:22.

    25 ヨハネ 5:23.

    26 ヨハネ 5:26–27.

    27 ヨハネ 5:18.

    28 ヨハネ 5:29.

    29 ダニエル 12:2.

    30 使徒 24:15.

    31 ヨハネ 3:19.

    32 ヨハネ 3:20.

    33 ヨハネ 3:21.

    34 ヨハネ 8:12.

    35 ヨハネ 5:24.

    36 Morris, The Gospel According to John, 285.

    37 ヨハネ 5:30.

    38 ヨハネ 5:31–32.

    39 申命 19:15.

    40 ヨハネ 5:32.

    41 ヨハネ 5:33.

    42 ヨハネ 1:19.

    43 ヨハネ 5:35.

    44 ヨハネ 5:34.〈新共同訳〉

    45 ヨハネ 1:35–37.

    46 ヨハネ 5:36.〈新共同訳〉

    47 ヨハネ 1:15.

    48 ヨハネ 1:20.

    49 ヨハネ 1:32–34.

  • 12月 27 イエス、その生涯とメッセージ:父と子(パート1)
  • 12月 23 クリスマスの約束
  • 12月 6 キリスト教が及ぼした影響(パート4)
  • 11月 30 さらに多くが見える愛
  • 10月 29 驚くべき御わざを探究する—詩篇104篇
  • 10月 22 キリスト教が及ぼした影響(パート3)
  • 10月 8 キリスト教が及ぼした影響(パート2)
  • 10月 1 キリスト教が及ぼした影響(パート1)
  • 9月 28 もう囚われの身ではない!
   

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  • 私たちの基本的な信条は、おおむね世界中の他のクリスチャンの信条と同じものですが、従来の考え方にとらわれない教理も幾らかあります。イエスは、神を愛し、自分を愛するように隣人を愛することに「律法全体と預言者とが、かかっている」と言われましたが、このイエスが教えられた「神の愛の律法」という基本的な原則を適用することが、私たちの人生と信条の重要な側面となっています。

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