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  • 私たちの人生における聖霊の働き

    The Holy Spirit at Work in Our Lives
    オーディオ所要時間:11:47
    オーディオ・ダウンロード(英語) (10.7MB)
    March 19, 2020

    旧約時代においては、神の臨在が火の柱や雲の柱、シナイ山での雷と稲妻、また燃える柴などに現れました。イエスは生涯、地上における神の臨在となられました。そして、ペンテコステの日以来、聖霊は御霊によって生まれた者、つまりイエスを救い主として受け入れることによって神の御国へ入ることとなった人々のうちに宿って来られました。イエスが天に昇られて以降は、神の御霊が信者のうちに宿っておられることが、地上における神の臨在の主要な現れとなってきたのです。[1]

    聖霊は信者のうちにおり、多くの面で影響を与えておられます。私たちがほかの人にイエスについて、また救いという神の賜物について話すとき、御霊によって力を与えられています。交わりや礼拝、共に行う奉仕・教会・宣教活動という形で、他のクリスチャンと触れ合うとき、それは聖霊の賜物によってより素晴らしいものとされます。

    主との個人的な歩みや霊的成長において、また、神の御心ややり方に沿って人生を生きる上で、御霊は重要な役割を担っておられます。神の御霊は、私たち一人ひとりを導き、指導してくださいます。私たちを教え、悟りを与えてくださいます。御霊によって、私たちが神の子どもであることや、神のうちにとどまり、また神も私たちのうちにとどまっておられるということが、保証されているのです。

    証しにおける聖霊の役割

    昇天の直前、イエスは弟子たちに対して、エルサレムに戻って「父の約束を待つ」ようにとの指示を与えておられます。彼らが聖霊によってバプテスマを授けられることをお告げになったのです。[2] そして、聖霊がくだるときには、証しをする力を受けるようになると説明されました。[3]

    ペンテコステの日に御霊が弟子たちにくだられ、それから次第に弟子たちはエルサレム、ユダヤ、サマリヤ、そして当時知られていた世界の隅々まで証人となっていきました。使徒や弟子たちが聖霊の力によって証しをしたことについて、多数の記述が残されています。

    神の御霊は、初代教会を通して他の人々に手を伸べることに取り組み、彼らを通して奇跡を行い、反対と殉教に会っても勇敢にメッセージを伝えさせてこられました。その御霊が、今日でもクリスチャンのうちに宿っておられます。最初の弟子たちに委任されたこと、そしてそれ以降のすべての弟子たちに委任されたこととは、福音を他の人と分かち合うことです。そのための力と塗油をくださるのが聖霊なのです。

    ある人は、聖霊は「宣教の霊」であると書いています。クリスチャンが喜んで福音を分け合おうとするとき、神の御霊はその人を変え、自分の限界を乗り越えて証人となるための力を与えることができるし、実際にそうしてくださいます。[4]

    証しの委任は明確です。証しのための力は聖霊のうちにあります。私たちが自分のすべきことを果たすとき、他の人に福音を分け合うことにしたとき、私たちは失われた人や飢えた人にメッセージを伝えるための力と塗油を御霊によって与えられます。あなたの証しを通して、相手の人は、救いを受けなさい、神の子となりなさい、永遠に神と共に生きなさいという、神の御霊が呼びかける声を聞きます。

    御霊の賜物

    聖霊は賜物を与えて、他の人への奉仕ができるように備えてくださいます。それは私たちの証しの相手に対するものと、共に仕え交わりを持つ他のクリスチャンに対するものとの両方です。御霊の賜物は、書簡の6つの異なる箇所で述べられ、リストアップされています。[5] これらのリストには様々な賜物、また使徒や伝道者といったいくつかの務め・召しがあげられています。そして、それらの賜物は全体の益になるために聖霊によって与えられたものである、と告げているのです。[6]

    リストアップされている賜物は、使徒や預言者・教師といった召し、力あるわざ(奇跡)、いやし、補助、管理、異言、知恵の言葉、知識の言葉、信仰、霊を見分ける力、異言の解釈、伝道者、牧師・牧者、勧め、寄付・施し、指導、慈善、結婚、独身生活、語り、奉仕です。最後の2つは第1ペテロにあるもので、賜物全般を含んでいると言えます。

    「あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立てるべきである。語る者は、神の御言を語る者にふさわしく語り、奉仕する者は、神から賜わる力による者にふさわしく奉仕すべきである。それは、すべてのことにおいてイエス・キリストによって、神があがめられるためである。」[7]

    これらの賜物はすべて、福音をもって他の人たちに手を差し伸べるという務めにおいて、また、主やお互いへの奉仕において、使うことができます。いずれも聖霊が各自に与えられる賜物です。どの賜物もすべて神の御手から来ているのであり、私たちの人生や他の人への奉仕において大いに価値のあるものです。

    霊的成長

    私たちの人生における聖霊の臨在は、より神の性質を身につけた者となって行く成長をもたらします。神は聖であり、神の御霊は私たちが神の性質と性格に見習うような生き方をするよう促します。私たちは信仰において成長し、また、日々の生活に神の御言葉を適用することや、神の御心・御言葉・性格に沿った選択と決断をすることにおいて、成長します。それにつれて私たちは聖さにおいても成長し、「栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」[8]

    聖霊が私たちのうちに住まわれることの実、つまり影響とは、私たちがより愛と喜びと平安に満ち、寛容で、慈愛と善意の心を持ち、忠実で、柔和で、自制心のあるものとなっていくことです。要するに、より神の性質を身につけ、聖くなっていくということです。自制心が増すと、他の人に腹を立てたり、忍耐をなくしたり、思いやりや愛がなく憎しみに満ちた人となったりしないよう頑張れるようになります。ネガティブで神の教えに反するような行動や態度によって他の人や自分自身を傷つけるといったことも少なくなります。生まれつき人間が持つ罪深い性質を乗り越えやすくなるのです。

    日々の生活における御霊の導きに身を任せ、神の御言葉にある原則を適用することで正しい道徳的選択をして行くことにより、主との歩みにおいて次第に成長して行きます。聖霊は私たちのうちに働き、罪に抵抗する力を授けることによって私たちが正しい選択をするのを助け、より神の性質に沿った行動をする選択を助けてくださいます。罪も罪の誘惑も、決して私たちの人生から根絶されることはありません。しかし、聖霊の助けによって霊的に成長するにつれ、もっと罪に対して断固とした態度を取り、それに屈しないようになれます。

    御霊の臨在

    使徒行伝の随所で聖霊は信者たちに下っておられ、彼らが御霊に満たされたことは明らかです。「さらに神も、しるしと不思議とさまざまな力あるわざとにより、また、御旨に従い聖霊を各自に賜うことによって、あかしをされたのである。」[9] 今この時代においても、御霊の臨在は信者の人生において様々な現れ方をしています。それは聖霊による霊の賜物や、奇跡(力あるわざ)としるしと不思議とに現れているのです。

    内的な現れとしては、御霊の臨在が私たちの人生に次のような形で現れているのを見ることができます。私たちが神の子であり、神が私たちの父であるのだと、私たちの霊に証ししてくださること。[10] 私たちが神のうちにおり、神が私たちのうちにいますこと。[11] そして、父と共に永遠を過ごすという約束の保証、「手付金」を与えてくださったことです。「神はまた、わたしたちに証印をおし、その保証として、わたしたちの心に御霊を賜わったのである。」[12]

    私たちの人生に、御霊に臨在していただく

    ウェイン・グルーデムは次のような素晴らしい言葉を語っています。

    聖霊に満たされることは、神ご自身の臨在に即時に満たされることです。それによって、神が感じられることを感じ、神が願われることを願い、神が望まれることを行い、神の権威によって語り、神の力をもって祈りと務めを行い、神ご自身がお与えになる知識によって理解するようになります。[13]

    クリスチャンは、自分のうちに神の聖霊に宿っていただくという恩恵にあずかっています。自分の体を聖霊の宮とし、人生において神に臨在していただくという光栄にあずかっているのです。

    神の御霊は私たちの人生に臨在しておられますが、御霊の臨在がどの程度現れるかは、私たち一人ひとりにかかっており、御霊の影響にどれだけ自分の心を開いているかによります。旧約聖書には、自分の人生に聖霊の臨在と影響があったものの、罪を犯したことで御霊に離れられた人の例があります。たとえば、サムソンやサウルです。

    新約聖書には、聖霊を悲しませるな、御霊を消すな、と書かれています。テサロニケ人への第1の手紙でパウロが使っている、この「消す」と訳されているギリシャ語の言葉は「スベンヌーミ」と言います。それは消す、抑える、抑え込むという意味であり、彼らのうちに、また彼らを通して現れる聖霊の働きに関してそのようなことをしないようにとパウロは戒めているのです。「神の聖霊を悲しませてはいけない。あなたがたは、あがないの日のために、聖霊の証印を受けたのである。」[14] 神の聖霊が私たちに押し付けられることはありません。一方、故意の罪や無関心、不従順、不信仰によって、御霊の影響力が弱まることがあります。

    聖霊が私たちの人生に積極的に関わってくださることから来る益は多くあります。聖霊は私たちの人生に良い影響を与えてくださいます。より有能な証人となり、他の人へのより良い奉仕ができるように助けてくださいます。より信心深くなって、悪や罪に抵抗できるようにしてくださいます。また、私たちを神の幕屋・住まいとし、他の人が私たちのうちに神を見て、神に引き寄せられるようにしてくださいます。私たちに授けられた、この「父からの贈り物」は、私たちの人生における神の臨在というきわめて貴重な贈り物なのです。[15] なんと光栄なことでしょうか。[16]

    初版は2013年7月 2020年3月に改訂・再版
    朗読:ガブリエル・ガルシア・バルディビエソ


    1 Wayne Grudem, Systematic Theology (Grand Rapids: InterVarsity Press, 2000), 636.

    2 使徒 1:4–5.

    3 使徒 1:8.

    4 J. Rodman Williams, Renewal Theology: Systematic Theology from a Charismatic Perspective, Vol. 2 (Grand Rapids: Zondervan, 1996), 249.

    5 参照:1コリント 12:8–10, 28; エペソ 4:11; ローマ 12:6–8; 1コリント 7:7; 1ペテロ 4:11.

    6 1コリント 12:4, 7, 11.

    7 1ペテロ 4:10–11.

    8 2コリント 3:18.〈新改訳〉

    9 ヘブル 2:4.

    10 ローマ 8:16.

    11 1ヨハネ 3:24.

    12 2コリント 1:21–22.

    13 Grudem, Systematic Theology, 649.

    14 エペソ 4:30.

    15 参照:ヤコブ 1:17.

    16 本記事の全体的な概念は、次の箇所に基づいています:“The Work of the Holy Spirit,” from Wayne Grudem’s Systematic Theology: An Introduction to Biblical Doctrine (Grand Rapids: InterVarsity Press, 2000).

  • 9月 17 キリスト教の独特さ
  • 9月 16 異なる見方
  • 9月 10 神の恵みの驚異
  • 9月 9 信仰と従順
  • 9月 7 父といなくなった息子
  • 8月 29 静穏の祈り
  • 8月 25 主に信頼せよ、とこしえに!
  • 8月 23 健康は最も大切なものか?
  • 8月 15 聖性の追求
   

ディレクターズ・コーナー

  • 感謝の力

    July 4, 2020

    ジェイ:イエスのような人

    少し前、主がジェイという若者に証しする機会の扉を開いて下さいました。私はまず、彼の称賛すべき性質をいくつか挙げました。彼とは以前、家の何かを修理をしてもらう時に1、2度会ったきりでしたが、とても大勢の他の人たちが、彼がどんなに優しい人で、正直で誠実で、他の人々を助けるために格別の努力を払ってくれるかについて話すのを、ずっと耳にしていました。

    この時、主は、彼と会話を始める一つの方法として、それまで聞いていた良い噂を用いるようにと示されました。彼は配管のことで私たちが抱えていた問題を解決するために、うちに来てくれていたのです。数分間おしゃべりし、それから彼について私が聞いていた、称賛についての話になりました。

    私は言いました。「ジェイ、あなたはイエス様のようね。どうしてかわかる?」 彼はそう言われて嬉しかったようで、にっこりと微笑んで言いました。「いえ、そんなことないです。」 私はイエスが忠実に人々の必要を満たされたことについて話しました。彼らが何を必要としていようと、謙虚に方々を回って良いことをされ、思いやり深く憐れみ深く、愛情深くあられたことを。

    それからこのように言いました。「イエス様は私たちに色々な賜物、つまり特別な能力を与えられるのよ。そして私たちがそうしようと決めるなら、他の人たちの人生を変えるような、素晴らしい人に成長することができるの。特別の才能や技能、あるいは物事を簡単に学ぶ能力といった、実際的な賜物もあるわ。それから、中には病人を癒やしたり、他の人たちの心を深く理解したりといった霊的な賜物もあるの。何を与えられるにせよ、賜物の目的はいつも、主が愛しておられることを、何らかの方法で他の人に伝えることよ。

    「だからあなたを見ていると、イエス様を思い出すの。イエス様はあなたに特別な賜物を与えられていると思うわ。それは聖書で『補助の賜物』と呼ばれているの。必要を抱えている人や困っている人を見た時に助けたいと思うのは、あなたにとってほとんど自然に湧いてくる気持ちみたいね。多分あなたにとっては、そんな風に反応するのは普通のことかもしれないけれど、他の人たちはそれが特別なことだと気がつくの。他の人たちを思いやって、それを行動に移して彼らを助けることは、時には大変な仕事ね。時々、まるで召使いみたいに人に仕えているように感じるかもしれないわ。でも知ってる? 仕えることは悪いことではないの。イエス様は聖書でこう言っておられるわ。『あなたがたのうちでいちばん偉い者は、すべての人に仕える人でなければならない。』(マタイ23:11)

    「イエス様は仕える人になることを、悪いこととは思われなかったの。生涯ずっと他の人に仕えて、彼らの必要を満たして、犠牲を払われたのよ。彼らが愛されているとわかるように。あなたもやっぱりそんな人で、そうする賜物を与えられていると思うの。イエスの性質を表す以上に素晴らしい賜物なんてあるかしら? それは現世でいつも輝かしく見えるとは限らないけれど、この世には見かけ通りではないものもあるわ。一番大切な仕事の中には、見かけはそれほど輝かしくないものも沢山あるの。でもそれらは、人の心や人生を変えるのよ。その仕事をしている人たちが、どんな代価がかかっても、自分たちを必要としている人たちを喜んで助けようとするからよ。」

    * * *

    アンジェロ:電子機器売り場の天使

    誰かが与えている資質や賜物に目を留めるというこのようなアプローチは、その人が自分は神にとって価値ある存在なのだと気づく助けになると思います。誰かが特定の資質や賜物を持っているとわかる時、それを本人に告げるなら、それによってそれらの賜物には与え手がおり、その方が彼らに、また彼らを通して他の人にも供給したいのだという要点が、もっとはっきり伝わるのです。

    また、そのようにすることで、与えられたものを用いて、もっと多くのことがしたいという願いが、彼らの中にかき立てられることがあります。それによって彼らの中に、自分の召しを果たし、神とのより強いつながりを築けるよう、神が他にどんなものを自分に与えて下さっているかを、知りたいという飢えが生じることがあるのです。

    私が体験した同じような出来事について、もう幾つかお話ししたいと思います。

    私は滅多に買い物をしません。したとしても目が痛んで、かなり苦労します。けれども、ある日医院を予約していて、どのみち外出しなければならなかった時に、必要としていたある商品を見つけようと、デパートのそばで立ち止まりました。入り口を入ってすぐに電子機器売り場があり、カウンターの後ろに一人の若者が立っていて、忙しそうに振る舞っていました。その時はお客が誰もいなかったのです。そばを通りかかると、彼は最高に朗らかな笑顔を見せてくれたので、私は立ち止まって、ある必要な商品がどこで見つけられるかを尋ねました。彼はカウンターから出て来ると、お待ち下さい、すぐ戻って参ります、と言いました。そして数分後に戻って来ると、私が尋ねたまさにその商品を手に持っていたのですが、それはちょうどセール品でした。

    「あちらです」と大体の方向を示すか、これこれの売り場をご覧下さい、と言うこともできたでしょうが、彼はそうせずに、わざわざ私が必要な商品を探して、見つけてくれたのです。私は彼が他の人を助けるという、そんなにも素晴らしい賜物を持っていることで、彼を称賛しました。喜んで格別の努力を払ってくれるので、見つけたいと思っていた別の商品についても尋ねてみたところ、それが置いてある売り場まで案内してくれ、「もし他に何かご入り用でしたら、先ほどの場所におりますから、ご遠慮なくお申し付け下さい」と付け加えたのです。

    少し経って店の正面入り口に戻ると、やはり彼は手が空いていたので、もう少し話をすることにしました。イエスについて何か話したかったからです。そこで彼に、「あなたはとても優しくて思いやりがあって、勤勉で働き者のようね」と言いました。彼の名前はアンジェロであることがわかり、家族について尋ねると、独身だと言いました。妻を養えるほど稼いでいないし、子どもを持つとなるとなおさらであると。それは大変そうね、と言うと、自分よりももっと貧しい他の人々を助けるために、できる限りのことをしていると答えました。

    アンジェロは他の人への深い思いやりがあり、私はなかなかそこを立ち去る気になれませんでした。話しながら、彼の心を開く鍵や、彼にとって大きな助けになるよう、どんな言葉をかけたらいいか示されるよう、イエスに祈っていました。すると、彼の名前と性格を前向きな形で関連づけるよう示されたので、私は言いました。「ねえアンジェロ、主はあなたにぴったりの名前をお与えになったわね。エンジェル(天使)は神の愛のメッセンジャーですもの。あなたの優しさが、神がご自分について理解してほしいと願われていることを、人々に伝えてくれるのよ。」 彼はその言葉が、とても心に触れたようでした。[訳注:アンジェロはいくつかの言語で天使を意味しており、英語のエンジェルに当たります。]

    そこを出る時、私は立ち止まって、彼に一枚のトラクトを手渡して言いました。「このイエス様からの短いメッセージを読めば、主があなたをとても愛しておられ、いつも助けようとすぐそばにいると知ってほしいのだということがわかるわ。心にイエスを受け入れるなら、イエスはいつも一緒にいて下さり、あなたを決して離れないのよ。」

    この言葉は彼に深い感銘を与え、今にも泣き出しそうに見えました。私は彼に、彼の優しさや親切さや、人を助けようとする姿勢は、お客さんたちにとってとても大切で、それによって彼らは幸せで居心地良く感じ、それこそが真のサービスと言えるけれども、もっと大切なのは、イエスがどれだけ彼らを愛しているかを示す見本になっていることなのだと言いました。イエスが彼を誇りに思っておられることを伝えたかったのです。誰が知りましょう? もしかすると、彼はこれまでずっとイエスやその素晴らしい愛を探し求めており、ただそれを裏付けてくれるものを必要としていただけなのかもしれません。

    * * *

    メアリー:靴売り場で気遣いを示す

    別の同じような体験は、私が切実に必要としていた靴を探そうと、思い切って出かけた時に起こりました。靴を買うことは、私が一番苦労することの一つです。「難しい足」の持ち主だからです。かかとの幅がとても狭い一方で、つま先にかけてはずっと幅の広い靴が必要で、そんなものは滅多に見つかりません。そこで、どうしても買いに行かなければならないほど靴が必要になると、私はたださっさと店に入って買い物を済ませ、家に帰りたい気分になるのです。

    その店のメアリーという名の若い女性はとても優しい人で、こういう靴を探しているのだという私の説明に、格別の関心を払って耳を傾けてくれました。もちろん靴を売りたいのもあるでしょうが、相手を助けようとする彼女の姿勢はそれ以上のもので、手間を惜しまず次から次へと靴を持ってきてくれました。それからじっと考え、こんな風に言いました。「そうだわ。こちらがいいかもしれません!」 彼女はその間ずっと私に付きっきりで、別のお客さんに対応するために、ほんのしばらくその場を離れただけでした。そして、ぴったりの靴を探すのに延々と時間がかかったにもかかわらず、ずっと前向きで忍耐強く、快活に振る舞ってくれたのです。

    彼女は辛抱強く接客を続け、最終的に何とかぴったりの靴を見つけてくれました。彼女の顔が満足げに輝くのが見えました。店を出る時に、私は彼女に言いました。「メアリー、今日は本当に助かったわ。沢山の時間と手間をかけて、格別の努力を払ってできる限り助けてくれたわね。多分この、靴を売るという仕事はあなたにとって一時的なものかもしれないし、もうしばらく続けようと思っているかもしれないけれど、あなたについて気づいたことで、言いたいことがあるの。構わないかしら?

    「あなたは一人一人のお客さんを気遣っているわね。靴の履き心地が良く、満足してもらえるように。どんな仕事も心を込めて、精一杯やっているわ。他の人を励まそうと努めているし。私にしてくれたみたいにね。店に入って来る人の中には、ちょっとがっかりしている人もいるかもしれない。私がそうだったように。だって、何も見つけられないと思っていたのよ。でもあなたは、私を助けるためにできる限りのことをしてくれたわ。こんなにも自分の足にぴったりの靴を見つけることができて、本当に有り難いの。ねえメアリー、他の人を幸せにし、励まして、相手の気分を引き上げることは、簡単なことではないわね。あなたの美しい微笑み、あなたの素敵な目、他の人にとって大切なことに、自分も関心を払おうとするあなたの姿勢は、神があなたに与えられた賜物で、あなたはそれをよく用いているようね。

    「靴を売ることは、かなり大切な仕事よ。人には靴が必要ですもの。ただ足を温かく安全に保つという、それだけのためであってもね。でも、客にとってもっと大切なのは、あなたが一人一人に払っている関心なのよ。これからもその賜物を伸ばし続けるといいと思うの。人々を幸せにすることは、自分が人生でできる最高に重要なことの一つなのだということを、いつも覚えていてね。」

    私がそのように言い、これは感謝の気持ちです、と言って多額のチップを手渡した時、彼女はほとんど泣きそうでした。私はこう付け加えました。「メアリー、イエスはあなたを本当に愛しておられるわ。そして今日、あなたの人生が重要で、あなたの仕事も重要であることを教えて、励ましたいと望んでおられるの。」 彼女は急いで顔をそむけました。ちょっと涙を流し、恥ずかしそうに微笑みながら。

    私はとても幸せな気分でした。家を出る前に、自分が説いていることを実践できますように、と主に祈っていたからです。ただせかせかとA地点からB地点に移動するのではなく、むしろ関心を必要としている尊い人々が周りに大勢いるのだということを、心に留めていることができますように、と。私は単に必要な靴を買うことよりも、はるかに重要なことをしていたのです。

    感謝や支えや励ましの言葉が、この人生においてどれほど人を優秀な者にするかを、私たちは決して知ることがないでしょう。それらの「小さなことの日」が、主があなたを導かれた誰かの人生におけるそのような始まりが、神の目には、素晴らしい何かの始まりと映ることがあります。神はそれをそのように見ておられるのです。

  • 9月 1 ライフバランスチェック(パート6):ストレス管理
  • 8月 25 イエス、その生涯とメッセージ:イエスと子どもたち
  • 8月 18 ライフバランスチェック(パート5): 交わり、家族、友人
  • 8月 11 イエス、その生涯とメッセージ:家庭内のもめごと、真の幸い、ヘロデの脅し
  • 8月 4 ライフバランスチェック(パート4):自己成長
  • 7月 28 ライフバランスチェック(パート3):運動
  • 7月 24 イエス、その生涯とメッセージ:兄弟の罪
  • 7月 21 ライフバランスチェック(パート2):健康
  • 7月 17 ライフバランスチェック(パート1):主と過ごす時間
   

メンバー

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信条

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  • 私たちの基本的な信条は、おおむね世界中の他のクリスチャンの信条と同じものですが、従来の考え方にとらわれない教理も幾らかあります。イエスは、神を愛し、自分を愛するように隣人を愛することに「律法全体と預言者とが、かかっている」と言われましたが、このイエスが教えられた「神の愛の律法」という基本的な原則を適用することが、私たちの人生と信条の重要な側面となっています。

理念

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  • コミュニティー意識

    私たちは、信仰とはコミュニティーにおいて、また他の仲間との関係において、実践されるべきものであると信じています。そして、団結の精神、愛、兄弟愛を育もうと努めます。力を合わせることで、より多くを成すことができます。

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私たちの人生において、キリストと似た性質を身につけていくこと
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