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  • 瞑想のための言葉(パート3)

    Words to Meditate On—Part 3
    April 25, 2019

    イエスからの言葉

    オーディオ所要時間: 19:08
    オーディオ・ダウンロード(英語) (17.5MB)

    これは、あなたがどこまで疲れ果てることができるかを見るためのコンテストではない。この競走はとても長いので、全ての人が何度も、あちこちで、疲れてしまう。自分の重荷を負い、疲れ果てることによって、わたしや他の人たちにあなたのスタミナを証明しようとしても、それには何ら価値がない。悪戦苦闘して踏ん張らなければならないことも何度もあるだろうが、休むべき時だって何度もある。愛する人よ、休みなさい。重荷を下ろしなさい。リラックスしてわたしの腕の中で休みなさい。しばらくの間、あなたを抱いて運んであげよう。あなたはわたしのために多くのことを成し遂げた。そして、再びそうするだろうとわかっているが、今はあなたを抱いて力を補充してあげよう。

    *

    喜び! あなたが救われた魂をわが王国に連れてくると、大きな喜びが天にある。わたしはあなたに、わたしの領域におけるありとあらゆる美しさや複雑さを明かしたが、これを決して忘れてはいけない。失われた魂がわたしを知り、その名が命の書に永遠にとどめられることほど、わたしの王国の隅々に喜びと嬉しさと幸福をもたらすものは他に何もないことを。それ以上に大きな喜びはない。ああ、とても多くの魂をわたしのもとへと送ったあなたがたは、いかに輝くことか。あなたはまばゆいほどに輝くだろう。星のように輝いて永遠に至るのだ!

    *

    あなたを待っている美、あなたの人生のためのわたしの計画の成就、あなたの運命の素晴らしさ、そしてあなたの人生の複雑な秩序を見ることさえできれば、この人生の試練についてそれほど思い悩むことはないし、多くの恐れや心配を背負い込んで過ごす時間もそれほどないことだろう。あなたの人生はわたしの手の中にある。あなたの人生はわたしのものだ。あなたがいつの日かわたしの視点から見るときに、美しく純粋に見えるようになるものでないかぎり、わたしは何ひとつあなたに触れさせない。未来を恐れる理由などない。それは確実にわたしの手の内にあるのだから。

    *

    問題を心配したところで何の得もない。大切なのは、祈りであれ行動であれ、何らかの措置を講じることだけだ。だから、問題や状況に対して自分にできる策が尽きたなら、それについて考え続けて不必要に力を使い果たしてはいけない。ただ、わたしにしかできないことをさせなさい。あなたは何かができるかできないかのどちらかだ。そして、もしできないのなら、それはわたしが今一度わたしの力を示すための機会なのだ。

    *

    時として、この地上で犠牲にしたものは永遠に失われると感じやすいものだ。時々あなたは自分の犠牲のいくつかを忘れさえし、わたしもそれらを忘れているに違いないと思っているのだろう。しかし、いつの日かあなたが天国に行った時、わたしはあなたが地上でわたしのためにしたすべての犠牲を示すつもりだ。わたしのためにあきらめ、脇においたすべてのものが展示されている場所を案内しよう。それぞれのものの横で、あなたはそのための十分な報酬を見て、それを受け取るだろう。

    今も、あなたは自分の払った犠牲に対して報酬を受け取る。あなたがわたしに与えたものすべてと引き換えに、わたしはこの地上でいろいろな方法であなたを祝福し、報酬を与え、あなたに与え返す。しかし、これまでわたしがどれほどあなたに与え返したとしても、それぞれの犠牲に対する見返りはまだ完全に終わっていないことを保証する。天国に入る時初めて、あなたはわたしがあなたのために取っておいた報酬と見返りが全て揃った包みを受け取るのだ。

    いつの日か、人生の旅路が終わる時に、あなたは払った犠牲の一つ一つが獲得した賞と祝福をあますところなく受け取るだろう。

    *

    わたしの言葉が語っている全き平安と休息を見つけることは不可能ではない。「わたしは全き平安をもってこころざしの堅固なものを守る。彼はわたしに信頼しているからである。」 全き平安とは何だろう。全き平安とは、小さなことでわたしへの集中が妨げられない状態のことだ。問題やジレンマや挫折、邪魔がわたしへの信仰と信頼のつながりを揺るがしさえしない状態のことだ。

    全き平安とは、大きな混乱や迫害や危険の多い時期や、てんやわんやのスケジュール、慌ただしい状況の真っ只中にいるにもかかわらず、わたしの保護と完全な支配を確信し、また、あなたの人生と状況にわたしの手が働いていることを確信して、ぐらつかず穏やかでいる状態のことだ。全き平安とは、あなたの信仰とわたしの間を何ものも邪魔しない状態のことだ。全き平安とは、あなたの思いがわたしの経路にしっかり集中して、何ものにも動かせない状態のことだ。

    どうやってこの全き平安を得るのだろう。先ほどの節には、「彼はわたしに信頼しているからである」と極めて明確に書かれている。わたしに思い煩いを委ねることで、わたしへの信頼を示しなさい。そうすれば、わたしは全き平安をもってあなたを守る。

    *

    愛する人、大丈夫だ。今はあなたを悩ませていることがあるのを、わたしは知っている。あなたは人生と未来のある特定の面について心配と恐れがある。そして、それらを完全にわたしの手に委ねるのはあなたにとって難しい。あなたはそれを確実に片付けるためには、ある程度の懸念を抱き続けなければならないと感じている。しかし、わかるだろうか、そういった懸念を抱き続けほど、それらに対するわたしの力は少なくなるのだ。

    これらの困難をわたしに解決してほしいと本当に思うなら、本気でそれらを手放す必要がある。今すぐわたしに渡しなさい。わたしに委ねなさい。もうそんなものは持っていたくないと、わたしに告げなさい。それらのことは気にしなくていい。わたしを信頼して解決を任せると、わたしに告げなさい。覚えていなさい。わたしはあなたに懸念を与えているこれらのことを成し遂げる。

    *

    立ち止まって、静寂に耳を傾けたことはあるだろうか。ただ静まるためにるために立ち止まったことはあるだろうか。祈りのうちに静まるのでもなく、わたしから聞くために静まるのでもなく、ただ静まるために。静けさは美徳であり、この静けさと穏やかさのこつをマスターするには練習が必要だ。しかし、それはとても有益だ。この静けさは思いを静めることを教えてくれる。なぜなら、あなたもその静かな穏やかさの状態を心底楽しむためには、あなたの思いも静まっていなければならないからだ。

    じっとしていなさい。静寂な風、静かなそよ風に耳を傾けなさい。思いを落ち着かせなさい。何も考えずに思いを静めなさい。時折、わたしとの静かなひとときを楽しみなさい。わたしの静寂に、わたしの前で穏やかで静かになる方法を教わりなさい。

    *

    たとえほんの少しの時間であっても、毎日わたしについて考え、わたしについて黙想するための時間をとることがとても重要だ。わたしの顔を深く想い、わたしの約束について考え、わたしがあなたに対して抱いている深い愛を思い起こし、わたしと心を通じ合わせるために、しばし立ち止まることは、あなたがその日に出くわす数々の小さな戦いのために、あなたの精神を強め、励ますだろう。このちょっとした心地よい交わりは、わたしたちを結びつけ、誰が真に自体を掌握しているのか、誰がそのすべてをしなければならないのかを思い出すのに役立つ。たとえほんの少しの間でも、毎日この時間をとるようにしなさい。

    *

    いつか、わたしは大空という薄い層を突き破って、わたしの眩い輝き、壮大さ、そして威厳を地上に浴びせる。天使たちは、わたしが最初に地上に来たときのように、わたしの再臨を告げるだろう。あたりはラッパの音で満たされる。聖徒と天使たちが天の幕からわたしの花嫁の美しい帰還をのぞくとき、あなたは彼らが賛美する声を聞くだろう。また音楽を、今まで聞いたこともない最も美しい音色を聞くことだろう。

    そしてその瞬間、わたしが途方もない力と美しさで雲を突き抜けて来るのをあなたが見るとき、あなたはわたしと目を合わせ、わたしがあなたの心に個人的な言葉を話すのを聞くだろう。あなたが立ち上がってわたしを抱擁し、天国に入るとき、地上でのあなたの人生は突如として短く思える。そのとき、瞬く間に、すべてはその甲斐があったと知るだろう。

    わたしの顔を一目見ただけで、あなたの悲しみは永遠に消し去られる。わたしの栄光と偉大さを一目見ただけで、あなたはそれに飲み込まれて、完全な歓喜を味わうことだろう。

    初版は2006年10月 2019年4月に一部を抜粋の上、再版
    朗読:マリア・フォンテーン  音楽:マイケル・ドーリー

  • 10月 10 神の義
  • 9月 11 御霊と足並みをそろえて進む
  • 9月 9 職場で良い影響を及ぼすための5つの方法
  • 9月 5 苦しみの意味を理解する
  • 9月 3 瞑想のための言葉(パート2)
  • 8月 29 いつでも神のお役に立てるように
  • 8月 28 神に使っていただく
  • 8月 18 孤独という贈り物
  • 8月 6 より大きな何かの一部
   

ディレクターズ・コーナー

  • キリスト教が及ぼした影響(パート3)

    [The Effects of Christianity (Part 3)]

    April 23, 2019

    (本記事にあるポイントは、アルバン・J・シュミット著『How Christianity Changed the World(キリスト教はいかに世界を変えたか)』[1] からのものです。)

    本シリーズ3件目となったこの記事では、イエスの死と復活以来、キリスト教が世界に及ぼしてきた良い影響を引き続き調べていきたいと思います。今回の焦点は2つで、病院と学校の出現についてです。

    病院

    医療施設の概念はキリスト教の登場前からあったという形跡があります。古代のメソポタミアやエジプト(紀元前5000–2000)には何らかの医療施設が存在していたし、インドでは紀元前5世紀にすでに仏教徒によって医療施設が設けられていました。また、ローマ時代には、軍人のための医療施設がありましたが、一般人は利用できませんでした。

    キリスト教徒は最初の3世紀の間、断続的に厳しい迫害に直面していたため、彼らにできる病人の世話と言えば、家に連れて行って介抱をすることくらいでした。キリスト教が合法となり、自由に実践できるようになると、キリスト教徒は324年以降、病人や死を間近にした人たちを施設で世話しやすい状況になりました。325年のニカイア公会議では、司教座聖堂のある各都市に「ホスピス」を設けるようとの指示が司教たちになされました。[緩和ケアを主体とする近代のホスピスとは異なり、当時の]ホスピスの目的とは、病気の人の世話だけではなく、貧民や巡礼者に宿泊場所を提供することです。それは、以下のイエスの教えと合致したものでした。

    「[あなたがたは、わたしが]裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれた…。」 そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、「主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか。」 すると、王は答えて言うであろう、「あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。」 [2]

    使徒ペテロは、「不平を言わずに、互にもてなし合いなさい」 [3] と言い、使徒パウロは教会の指導者たちに対して、「監督(司教)は、…もてなし[をしなければならない]」 [4] と指示しました。「もてなし」の一環として、教会の指導者たちは、助けを必要とする旅人やクリスチャン仲間を迎え入れることが期待され、それには、病気の人や死を間近にした人を世話することも含まれていました。[訳注:上記の聖句で「もてなし」と訳されているギリシャ語「フィロクセノス」に対応するラテン語の言葉に由来して、英語の「ホスピス」「ホスピタリティ(もてなし・歓待)」「ホスピタル(病院)」という言葉が生まれました。] 最初の病院施設は、369年頃にカッパドキア地方(現在のトルコ東部に位置)のカイサリア(カイザリヤ)で教父バシレイオスによって建てられました。次に建てられたのは、近くの属州にあるエデッサで、375年のことでした。西洋で最初に病院が建てられたのは390年頃のローマで、それは著名な教父ヒエロニムスに師事した裕福なやもめファビオラによるものでした。398年、ファビオラはローマの南西約80キロの場所に別の病院を建てています。教父クリュソストモス(407年没)は、4世紀の終わりから5世紀初頭にかけて、コンスタンティノープルに幾つかの病院を建てさせました。6世紀には、病院は修道院の一部としてよく見かけるようになっていました。9世紀には、神聖ローマ帝国のカール大帝の治世の間、数多くの病院が建てられました。1500年代中頃には、37,000のベネディクト修道院で病人の世話がなされていました。また、その頃までには、かなりの数の病院がヨーロッパにできていました。

    聖地エルサレムをイスラム教の支配から解放するために、1096年から1291年にかけて8度の戦争を戦った十字軍の行動には、厳しい意見を受けて当然のものもありますが、彼らが行った正しいことの1つは、パレスチナその他の中東各地に病院を建設したことです。また、彼らは医療活動を行う修道会を幾つか創設し、キリスト教徒もイスラム教徒も分け隔てなくすべての人に医療奉仕を行いました。たとえば、ホスピタル修道会は病人を看護する女性を募り、聖ラザロ修道会士は彼ら自身が看護に身を捧げました。

    「エルサレムの聖ヨハネ病院騎士修道会」[聖ヨハネ騎士団=ホスピタル修道会]は、病院を運営・維持していただけではなく、精神障害者の受け入れも行っていた。1409年には、スペインのバレンシアにキリスト教精神病院を設立している。[5]

    アメリカ合衆国における最初の病院の1つは、1700年代初頭にクエーカー教徒によって設立されたもので、1800年代初頭までは、ここも含めて2つしか病院がありませんでした。1800年代後半になると、数多くの病院が、通常は地元の教会やキリスト教諸派によって建てられました。病院名は、バプテスト病院、ルーテル病院、メソジスト病院、長老派病院など、資金を出した教派にちなんで付けられることが多くありました。他にも、聖ヨハネ病院、聖ルカ病院、聖マリア病院などがあります。

    教育

    キリスト教の影響を受けたもう1つの分野は、すべての子どもへの公教育です。今日では、無料で通える公立学校が一般的になっていますが、以前は必ずしもそうだったわけではありません。1500年代になるまで、ヨーロッパにおける教育、特に小学校レベルの教育は、ほとんどの場合、教会による維持・運営のもと、司教座聖堂学校において行われていました。残念なことに、教会の学校に通う人は非常に少なかったため、全体的に見て、読み書きのできる人はほとんどいませんでした。

    マルチン・ルター(1498–1546)は、学生たちが男女共に、地元の言語によって小学校で教育を受け、中等学校や大学ではラテン語によって教育を受けられるような国家による学校制度を提唱しました。[6] ルターの同労者フィリップ・メランヒトン(1497–1560)は、ドイツの市当局に働きかけ、最初の公立学校制度を始めさせました。ルターはまた、市当局は子どもたちが学校に行くよう強いるべきだと提唱しました。時がたつにつれて、義務教育に関するルターの考えは、他の国々でも根付いていきました。今日、すべての子どもが学校に通うべきだという概念は、ほとんどの国の法律に取り入れられています。

    聾教育(耳が聞こえない人のための教育)

    ろう者(聾者:音声言語獲得前に失聴した人)に非音声言語を教えることが考案されたのは、主に3人のクリスチャン男性、シャルル・ミシェル・ド・レペー神父、トーマス・ギャローデット、そしてローラン・クレークによります。レペーは神父であり、1775年にパリで、ろう者に教えるために手話を開発しました。彼の目標は、ろう者がイエスのメッセージを聞けるようにすることでした。[7] トーマス・ギャローデットとローラン・クレークは、レペーの手話をアメリカにもたらした人たちです。

    ローラン・クレークは、フランスのリヨン近くの村に生まれ、1歳の時に聴力を失いました。パリ国立聾学校に通い、卒業後はそこで教師となりました。ろう者を助けたいと考えていたトーマス・ギャローデット牧師は、手話を学ぶためにクラークの学校に通うようになりました。2人はアメリカ合衆国で最初の聾学校を開くことを決心しました。ギャローデットは、ろう者との仕事の仕方を学ぶためにヨーロッパへ再び渡る前に、耳の不自由なある少女にこう語りました。「戻ってきたら、聖書のことや神様のこと、キリストのことをたくさん教えてあげたいと思っている。」 [8] この2人の男性は1817年に聾学校を設立しました。1864年、ギャローデットの息子が設立した最初の聾大学は、ワシントンDCにあって、後にギャローデット大学に改称されました。

    盲教育(目が見えない人のための教育)

    イエスの死と復活後の数世紀に、目の不自由な人をどのように世話していたのかについては、あまり知られていません。4世紀には、キリスト教徒たちが盲人のための施設を幾つか運営していました。630年には、エルサレムに「テュフロコミウム」(テュフロス = 盲人 + コメオ = 世話する)が建てられました。13世紀になると、キリスト教王ルイ9世(聖王ルイ)がパリに盲人のためのホスピス[収容施設]を建てました。1830年代には、幼少時に視力を失っていた献身的なフランス人クリスチャンであるルイ・ブライユが、盲人が読むことのできる方法を開発しました。ブライユはある時、軍が用いていた、闇の中でも伝達事項を解読できるよう盛り上がった点を使ったシステムに出会ったのです。ブライユはこれを元に、盲人が読むために使えるよう、裏側から打って盛り上げた点を用いた彼自身の点字システムを開発しました。死の床で、ブライユはこう語っています。「私の地上での使命は終わったと確信している。昨日、この上ない喜びを味わった。神が私の両目を永遠の希望の光彩で輝かせてくださったのだ。」 [9]

    大学(ユニバーシティ)

    ヨーロッパに現存する最古の総合大学は、1158年に創立されたイタリアのボローニャ大学であると一般的に認められています。当初は教会法を扱っていました。ヨーロッパで次に来るのは、1200年に創立されたパリ大学です。もともとは神学校でしたが、1270年に医学部が設置されました。ボローニャ大学から、イタリア、スペイン、スコットランド、スウェーデン、ポーランドにある幾つもの大学が生まれました。パリ大学からは、オックスフォード大学や、ポルトガル、ドイツ、オーストリアにある大学が生まれ、イギリスのキリスト教系カレッジであるエマニュエル・カレッジ(ケンブリッジ大学内のカレッジの1つ)からは、アメリカのハーバード大学が生まれています。[10]

    アメリカの名門大学の1つであるハーバード大学が設立されたのは、牧師を養成するためでした。当初の校訓は(ラテン語で)「キリストと教会のための真理」であり、会衆派教会によって設立されています。他にも、アメリカにはキリスト教の諸教派によって設立された著名校があります。たとえば、ウィリアム・アンド・メアリー大学(イングランド国教会)、イェール大学(会衆派)、ノースウェスタン大学(メソジスト)、コロンビア大学(イングランド国教会)、プリンストン大学(長老派)、ブラウン大学(バプテスト)などです。

    キリスト教は、教育施設や病院の歴史と発展において重要な役割を果たし、それによって、世界をよりよい場所とするのを助けてきたのです。


    注:

    聖書の言葉は、特に明記されていない場合、日本聖書協会の口語訳聖書から引用されています。


    1 Alvin J. Schmidt, How Christianity Changed the World (Grand Rapids: Zondervan, 2004).

    2 マタイ 25:36–40.

    3 1ペテロ 4:9.

    4 1テモテ 3:2; こちらも参照:テトス 1:7–8.

    5 W. E. H. Lecky, History of European Morals (New York: Vanguard Press, 1926), 81.

    6 Martin Luther, “Preface,” Small Catechism(マルチン・ルター『少教理問答書』), in The Book of Concord, ed. Theodore G. Tappert (Philadelphia: Fortress Press, 1959), 338.

    7 Harlan Lane, When the Mind Hears(ハーラン・レイン『手話の歴史』) (New York: Random House, 1984), 58.

    8 同上, 185.

    9 Etta DeGering, Seeing Fingers: The Story of Louis Braille (New York: David McKay, 1962), 110.

    10 Schmidt, How Christianity Changed the World, 187.

  • 10月 8 キリスト教が及ぼした影響(パート2)
  • 10月 1 キリスト教が及ぼした影響(パート1)
  • 9月 28 もう囚われの身ではない!
  • 9月 26 キリスト教を生きる:十戒(人命を守る、パート3)
  • 9月 17 今の時を超えて信じる
  • 9月 10 イエス、その生涯とメッセージ:仮庵の祭(パート6)
  • 9月 8 世界は美しい!
  • 9月 4 キリスト教を生きる:十戒(人命を守る、パート2)
  • 8月 27 イエス、その生涯とメッセージ:仮庵の祭(パート5)
   

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