私たちの信条

ファミリー・インターナショナル(TFI)は

ファミリー・インターナショナル(TFI)は、世界中の人々と神の愛のメッセージを分かち合うことをゴールとする国際的なオンライン・クリスチャン・コミュニティーです。私たちは、誰でもイエス・キリストを通して神との個人的な関係を持つことができると信じます。その関係があれば、幸せや心の平安が得られるだけではなく、他の人を助け、神の愛の良き知らせを伝えようという意欲がわいてきます。

マタイ22:37-40

神の言葉

神の言葉は、私たちの信条や実践の礎です。聖書は、聖霊の霊感を受けた信仰の人たちによって書かれた神の言葉であると、私たちは信じます(2ペテロ1:21)。聖書にある時代を超えた原則が私たちの信仰の基盤であり、聖書の真理は、私たちが他の人と分かち合うメッセージの基礎です。

神の言葉は、人類に対する神の計画を明らかにし、神やお互いと調和の内に暮らす方法を教え、私たちの行動や決断を導き、霊の強さや成長に欠かせないものです。

マタイ24:35; ヨハネ8:31-32; マタイ4:4; ローマ10:17, 15:4

全知全能で、遍在し、永遠の存在であり、宇宙とその中のすべてのものを創造し、支えておられる唯一の神を、私たちは信じます。聖書は、「神は霊」であり(ヨハネ4:24)、また「神は愛」である(1ヨハネ4:8)と教えています。神は永遠の果てしない愛をもって一人一人のことを愛し、気づかっておられ、大人も子どももすべての人が神と個人的な関係を持つことを望んでおられます。

固有の位格でありながらも不可分である三つの神格、つまり、父なる神、子なるイエス、そして聖霊として、神は永遠に存在なさいます。

ヨハネ4:24, 14:23; 1ヨハネ5:7; マタイ28:19; 黙示録4:11

イエス・キリスト

神はこの世界を非常に愛しておられるため、ひとり子であるイエス・キリストを与えることによって、この世界に救いをもたらし(ヨハネ3:16)、人類に神の愛について教えられました。イエスは神の愛の現れであり、人類の罪をあがなうために十字架の死の苦しみを味わい、人が神と和解できるようにされました(イザヤ53:4-6)。

イエスは聖霊によって奇跡的に受胎した処女マリヤからお生まれになったと、私たちは信じます。イエスは、神と人間との仲介者となれるように、人間の姿をし、人間の生活をされました(1テモテ2:5)。十字架での死の三日後にイエスはよみがえり、その40日後に天に昇られました(使徒行伝1:3)。イエスは将来、この地に愛と義の王国をたてるために地上に戻ってこられると、私たちは信じます(黙示録11:15)。

ヨハネ1:14; ピリピ2:5-11; 2 コリント5:21; 1コリント15:3-6; 使徒行伝1:9-11

聖霊

イエスは天に昇る前に、ご自身に従う者たちに聖霊を送られ、その聖霊は霊的な生活や神との関係において彼らを強め導き、いつも彼らと共にいると約束されました(ヨハネ14:16)。

聖霊は信者たちをすべての真理へと導き、彼らが神の言葉を理解し、また祈るのを助け、イエス・キリストの福音を他の人に証しする力をお与えになります(使徒行伝1:8)。信者は誰であっても、ただ神に求めるなら、聖霊によって満たされることができると、私たちは信じます。聖霊の存在は、信者の人生においてそれぞれ異なった霊的賜物として現れることがあります。たとえば、知恵、知識、信仰、いやし、奇跡、預言などです(1コリント12:4-11)。

ヨハネ16:7; 使徒行伝1:5,8; ヨハネ14:16-17,26; 1 コリント12:4-11

天地創造

聖書にある天地創造の描写どおりに、神が宇宙とその中のすべてのものを創造されたと、私たちは信じます。神はご自分のかたちに最初の男と女[アダムとエバ]を創造し、命の息を吹き入れられました(創世記2:7)。つまり、偶然の進化によってではなく、神のデザインによって、人は生きたものとなったのです。目に見える神の創造物は、目に見えない神の存在を明確に証しするものです(ローマ1:20)。

神は人類に、地球とそこに住むものたちを世話する責任を与えておられると、私たちは信じます。

創世記1:1,26-27, 2:15; 詩篇33:6-9; エレミヤ32:17; ヘブル11:3

恵みによる救い

神は、最初の男女を罪のないものとして創造されたと、私たちは信じます。神から自由な選択を与えられた二人は、神の言われたことにそむくという選択によって罪に陥りました(創世記3:17-19)。こうしてこの世に罪が入り込んだことで、すべての人が生まれつき罪びととなり(ローマ5:12-14)、神から離れた存在となりました。しかし神は、その果てしない愛と憐れみにより、この世にご自身のひとり子を送ることで人間と和解され、「御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得る」ようにされました(ヨハネ3:16)。ですから、イエス・キリストを通して罪に対する神のゆるしを受け入れる人は誰でも、ゆるされ、あがなわれ、神のおられるところで永遠に生きるようになると、私たちは信じます。

救い(罪からのあがない)は神の愛と憐れみとゆるしによる贈り物であり、イエスを信じることによってのみ受け取れます。「わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって・・・わたしたちは救われたのである」(テトス3:5)。救いという贈り物を受け取ったなら、信者は永遠に救われ、死んだ後も、その魂は天国で永遠に生きることになります。「わたし[イエス]は、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない」(ヨハネ10:28)。信者となっても、やはり神のゆるしを必要とする、誤りをおかす人であることに変わりはありませんが、欠点や過ちがあっても、救いを失うことは決してないのです。

ヨハネ5:24, 6:47; 1コリント15:22; ローマ3:23, 6:23; エペソ 2:8-9; 使徒行伝4:12; 1ヨハネ5:12; ローマ8:38-39

信仰

聖書には、神は信仰をもってご自身に近くなる人を称え、報いて下さるとあります(ヘブル11:6)。信仰は神の言葉を学ぶことによって育ち、強められます(ローマ10:17)。また、生きた信仰とは行動に表される信仰です(ヤコブ2:17)。私たちの信仰は、人生や他の人とのかかわりのあらゆる側面に浸透しているべきであると、私たちは信じます。「正しい者は信仰によって生きる」(ローマ1:17 新共同訳)。

神は、その子ども一人一人のことを気づかい、また、導き、支え、慰め、強め、必要なものを与えようとしておられると、私たちは信じます。たとえ神のやり方が理解できず、神がどうして様々な困難を許されるのかがわからない時があっても、私たちの信仰は、そのような人生の試練について神に信頼する力を与えてくれます。自分の人生や希望や将来を愛情深い神の手に委ねるなら、神が私たちのために約束を果たして下さると、私たちは確信しています。神は、神を愛する人が人生で遭遇するすべてが、最終的には共に働いて益となるようにして下さるのです(ローマ8:28)。

ヘブル11:1,6; マルコ9:23; 2コリント5:7; ヘブル10:35; イザヤ55:8-11; 詩篇91:14-16

神とのコミュニケーション

祈りは信者が神とコミュニケーションを取る手段です。祈りを通して、私たちは神への依存を表明し、神への賛美と感謝を表現し、自分や他の人の必要について神に嘆願します。祈りは私たちと神との関係における生き生きとした側面であるべきだと、私たちは信じます。祈りは、神のご意思に応じて神の力を解き放ち、答えや供給、いやし、慰め、心の平安、導き、奇跡をもたらすことができます。イエスはこう言われました。「あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう」(マルコ11:24)。

神は人とコミュニケーションを取り、その人の人生において親密な存在となって、導きや励ましや指示を与えようとしておられると、私たちは信じます。神は、ご自身の霊を注いで、神の子どもたちにご自身の言葉を示すと約束されました(箴言1:23 新共同訳)。神は今なおご自分の民に語りかけ、啓示や預言、霊的な指針と助言の言葉を通してメッセージを伝えておられると、私たちは信じます。預言とは信者が受け取れる聖霊の賜物であり、日々の生活において積極的な役割を果たすことができます(使徒行伝2:17)。

マタイ7:7-8; 1 ヨハネ5:14-15; 1 テサロニケ5:17; ローマ12:6; 使徒行伝2:17-18; 箴言3:5-6

大宣教命令

クリスチャンはキリストによって、その愛と救いの良き知らせを他の人に伝えるようにと命じられています(マルコ16:15)。神の愛と、イエスによる救いとは、全人類への贈り物であり、惜しみなく他の人に分かち合われるべきものです。クリスチャンは、キリスト教の価値観にそった方法を用いて、あらゆる社会階層の人に神のメッセージを伝えるべきであると、私たちは信じます。

イエスは、霊的な真理を教えるだけではなく、当時の貧しい人や恵まれない人など、必要を抱えた人たちに憐れみをもって手を差し伸べるという面でも、従う者たちへの手本となりました。同様に、クリスチャンは必要を抱えた人たちを慰め、助けようとすべきであると、私たちは信じます。

マタイ28:19-20; 2 テモテ4:2; ダニエル12:3; マタイ5:14,16; 箴言3:27, 19:17

信仰のコミュニティー

『教会』とはイエス・キリストを信じるすべての人からなる霊的な集合体のことであると、私たちは信じます。クリスチャンの交わりは、建物や宗派や施設というより、むしろ、霊と愛の内に結びあわされた、信仰のコミュニティー(信仰を同じくする人の集まり)です。「神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」(ヨハネ4:24)。

初代教会の交わり、協調した働き、霊の内の団結について新約聖書に記されていることは、単なる歴史的記述ではなく、後に続く幾世代もの信者にとっての模範であると、私たちは信じます。

エペソ2:19-22; 使徒行伝 2:46; 1ヨハネ1:7; 詩篇133:1; 1ペテロ4:8

キリストの花嫁

神とその民、またキリストとその教会の関係は、聖書の中で花婿と花嫁にたとえられています。聖書には、「あなたを造られた者はあなたの夫であって、その名は万軍の主」とあり(イザヤ54:5)、また私たちは「死人の中からよみがえられたかた[イエス]のものとなり[結婚し]、こうして、わたしたちが神のために実を結ぶに至る」と書かれています(ローマ7:4)。

聖書の中で、イエスとその教会との親密な霊的関係を結婚になぞらえているのは、イエスが信者一人一人と持ちたいと願っておられる心と思いと霊の情熱的な結びつきを表すためであると、私たちは信じます。

ホセア2:19-20; イザヤ61:10, 62:5; エペソ5:25; 黙示録19:7-9

弟子であること

クリスチャンとしてキリストの弟子であることの特徴は、イエスの教えを信じ、それにならうという決意です。「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである」(ヨハネ8:31)。イエスは今なお今日の信者に、イエスにつき従い、その教えにそって生きるよう呼びかけておられると、私たちは信じます。仕えるようにという主の召しは、その昔ガリラヤ湖畔にいた漁師に「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」(マタイ4:19)と呼びかけられた時から、本質的に変わっていません。

クリスチャンの人生は、言葉と行動において神の愛の生きた見本であるべきだと、私たちは信じます。また、キリストの足跡にならい、神の言葉にある原則にそって生きるよう努めるべきであると、私たちは信じます。私たちは、「世と世にあるものとを、愛してはいけない」という聖書の戒めを守ります(1ヨハネ2:15)。これは、信者はキリストの教えにそぐわない習わしや行いを避け、神の教えに反する態度や価値観にならわないようにすべきだという意味であると、私たちは理解しています。

ルカ9:23-24; ヨハネ8:31-32, 15:16; 1ヨハネ2:15-17; ローマ12:1-2; ガラテヤ5:22-23

神の愛の律法

マタイによる福音書22章35-40節で説明されている神の愛の律法こそ、クリスチャンの人生や他の人たちとのかかわりのあらゆる側面における原則であるべきだと、私たちは信じます。イエスは、律法の中でどの戒めが大切なのかと尋ねられた際、こう答えられました。「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。』 これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。』 これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている。」

この聖書の言葉は、神の律法の核心を表現しており、私たちの行動や他者との交流すべての指針となるべきものです。このように、クリスチャンの行動は、利他的で犠牲的な愛、つまり、他の人たちへの神の愛によって動機づけられているべきであると、私たちは信じます。

ローマ13:8-10; ヤコブ2:8; ガラテヤ5:14; ヨハネ13:34; マタイ5:42-45, 7:12

主の晩餐(聖餐式)

コミュニオンとしても知られている主の晩餐は、ご自身が人類のために払われた犠牲を記念して行うよう、イエスが信者たちに求められた簡素な儀式です(1コリント11:25)。信者は、私たちの体のいやしのために砕かれたイエスの体を象徴するパンを食べ、私たちの罪のゆるしのために流されたイエスの血を象徴するワインを飲みます。

キリストの苦しみと十字架上での死によって、神は、人類すべての魂の救いと共に、病気のいやしをも与えておられると、私たちは信じます。

マタイ26:26-28; ルカ22:17-20; ヨハネ6:51; 1コリント11:23-26

来世

誰もが永遠の魂を持っており、死ぬ時にその魂は来世に迎えられ、地上の人生での振る舞いに応じて報われたり裁かれたりし、それ相応に来世での場所が割り当てられる、と私たちは信じます。神は、イエス・キリストを信じ、救いという神の贈り物を受け入れたすべての人のために、永遠の美や平和、喜びに満ちた天国に場所を用意しておられます(1コリント2:9)。「神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない」(黙示録21:3-4)。

聖書には、人が「ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを」神は望んでおられ(2ペテロ3:9)、また、イエスは獄に捕らわれている霊たちや死人にのべ伝えられたとあります(1ペテロ3:18-20, 4:6)。神はこれからも、その愛によって、万物がご自分と和解し、人々が真理の知識に達するよう働きかけられると、私たちは信じます(コロサイ1:20, 1テモテ2:4)。

ヨハネ14:1-3; 1ペテロ1:3-5; 黙示録20:11-12; 2コリント5:10; 黙示録22:12; 1コリント3:13-15

神の介入

聖書には、説明不可能で超自然的な神の御業が数多く記録されています。歴史を通じ、自然界において情勢や状況を超自然的に変えてこられた神は、その愛と力を表すために、今日もなお同じことをされると、私たちは信じます。イエスは地上におられた時に、人の心や魂をいやすことによってその愛を表されただけではなく、飢えた人に食べ物を与えたり、病や障害を抱えた人をいやしたりするために奇跡を行われました。「イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない」と書かれているとおり(ヘブル13:8)、神は今日もなお奇跡を行われると、私たちは信じます。

天使は、神によって創造され、人間を見守るという任務を授かった力強い霊的存在です。聖書には、天使が介入して神の民を保護したり、助けたり、メッセージを伝えたりしたという例が多数記されており、天使たちは今なおそのような任務を果たしていると、私たちは信じます。神は、他界した信者の霊にも力を与えて、神の人たちに仕えさておられると、私たちは信じます。パウロは他界した信者たちについて、「多くの証人」が地上の私たちを「雲のように」囲み、見守っていると語っています(ヘブル12:1)。

マタイ4:23-24; 1コリント12:7-10; ヨハネ14:12; 詩篇34:7, 91:11-12; 黙示録19:10; ヘブル12:22-23

御国(天国)の鍵

イエスは死んで復活される前に、弟子たちに次のように語って、御国の鍵をお授けになりました。「わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」(マタイ16:19)。御国の鍵は、イエスを信じるすべての人に永遠の命を約束されたイエスへの信仰による救いの福音を伝えることによって、人々を神の国に連れていくために、イエスが弟子たちにお与えになって権威を表しています(ヨハネ14:6; ヨハネ10:28)。

マタイ18:18; 黙示録1:17-18; マルコ16:15-16

霊的な戦い

物質世界からは目に見えない霊の領域というものが存在し、その領域には、神と天使と良い霊がおり、さらに、すべて義であるものの敵であるサタン(悪魔)もいると、私たちは信じます。この霊の領域では、善と悪の間、つまり神やその良き軍勢と、サタンやその邪悪な軍勢との間で激しい戦いが繰り広げられており、両者ともに人間の魂や思考、さらには歴史の行方に影響を与えようとしていると、私たちは信じます。クリスチャンは、神の御国のためとなるような、神の御心にかなった選択や行動を通して、この霊的な戦いに影響を及ぼすことができると、私たちは信じます。

聖書は、サタンとその軍勢は最終的に敗北し、人類に対する神の計画が勝利すると予告しています(黙示録20:1-3,10)。ゆくゆくは地上にイエスの御国が建てられ、「この世の国は、われらの主とそのキリストとの国と」なり、「主は世々限りなく支配なさる」ことでしょう(黙示録11:15)。

使徒行伝26:17-18; 1ペテロ5:8; 1ヨハネ3:8; 2コリント10:3-5; エペソ6:11-12

結婚と家族

神が人間の性を創造し、定められたのだと、私たちは信じます。聖書には、神が最初の男女に「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」と言われたと記されています(創世記1:28)。また、「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった」と書かれており、その「すべての物」には、最初の男性と女性、そしてその身体と性も含まれています(創世記1:31)。

結婚による男女の絆は、神が創造し、定められたものであり、結婚は、安定した家庭を築いていく上での理想的な関係であると、私たちは信じます。結婚する信者は、神の御前に契約を交わして、妻や夫と子どもを愛し、世話し、彼らに対して責任を持つという決意をしたことになります(マタイ19:4-6)。子どもは神からの授かりものであり、神は私たちを祝福して子どもを任せて下さいます。「子供たちは神から賜わった嗣業であり、胎の実は報いの賜物である」とあるとおりです(詩篇127:3)。子どもを愛情深く世話し、また子どもに神の御心にかなう原則や道徳的価値観、そして神と他の人たちへの尊敬と愛を教えることは、クリスチャンの親の務めであると、私たちは信じます(エペソ6:4)。

創世記1:26-28, 2:18-24; 詩篇127:3-5; マタイ19:13-14; 申命記6:5-7

命の尊厳

人命は尊いものであり、人はそれぞれ、神の姿に似せて創造された一個の人間として尊敬をもって扱われる権利を神から授かっていると、私たちは信じます。クリスチャンである私たちのつとめは、人種、性別、信条、国籍、社会的地位に関係なく、隣人を、自分自身を愛するように愛することです(マルコ12:31)。差別、偏見、暴力は神の計画とは相容れないものであり、私たちはいかなる形であれ、それに反対します。

受胎から死に至るまで、生命は神からの尊い授かりものとして大切にされ、育まれるべきものであると、私たちは信じます。神のみが生命を与えられる方なので、一人一人が死ぬ時期についても、神の手に委ねるべきであると、私たちは信じます(詩篇31:15)。

創世記1:27, 2:7; 詩篇139:14-16; ガラテヤ6:10; ローマ2:11; 1コリント16:14

市民としての責任

キリスト教的価値観に従ってあらゆる面で良き市民となり、正直さや誠実さを示し、地域社会の福利に貢献することは、信者のつとめであると、私たちは考えます。私たちは、すべての人は政府の権威に従うべきであるという聖書の教えを守ります(ローマ13:1)。しかし、法律や条例が、信者の信仰、または信仰を実践する権利を侵害する場合には、クリスチャンは自分の良心に従うべきであると、私たちは信じています(使徒行伝5:27-29)。

ローマ12:18, 13:1-7; 1ペテロ2:17; マタイ22:20-21; 使徒行伝4:19-20

イエスの再臨

聖書の予告がこれまで何世紀にも渡って数多く成就されてきたように、この世界の未来を予告する聖書の他の言葉も成就されると、私たちは信じています。また、私たちは聖書で「終りの時」と呼ばれる時期、つまりイエス・キリストの再臨に先立つ時期に生きていると、信じています(2テモテ3:1)。イエスが地上に戻られた時が、新しい平和な千年間の始まりとなり、戦争や暴力は終わりを告げ、全人類に正義と公正がもたらされることでしょう。(「終りの時」に関する詳しい説明は、こちらをご覧ください。)

ダニエル12:4; マタイ24:29-31; 黙示録11:15; ダニエル 2:44; イザヤ11:9

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