新たな人生を探していますか?

Looking for a new life?イエスは、小さく弱く無力な赤ん坊として地上に来られました。母親は、素朴で慎ましい若い女性で、男性とは一度も親密な関係を持ったことがないのに奇跡的に妊娠しました。彼女が妊娠したという知らせはあまりにも衝撃的だったため、婚約者はそのことを知った時、即座に婚約を破棄して結婚を取りやめると決めたほどです。しかしその後、力ある天使が助けに入り、彼女と別れないで、胎内にいるこのとても特別な子どもを守り育てるようにと告げたのです。

イエスは王――それもただの王ではなく、王の中の王――となるべく定められていましたが、名高く輝かしい宮廷の面々に見守られながら宮殿で誕生されたわけではありません。それどころか、納屋の汚い床で、家畜やロバに囲まれて生まれ、ぼろ布にくるまれて、動物たちの餌入れの中に寝かされました。

また、その誕生は、人間の政府や団体によって歓迎されることも、認められることもありませんでしたが、その夜近くの丘で、星空から突然に照り輝いたまばゆい光に貧しい羊飼いたちが息をのむ中、天使たちの喜ばしい布告と歌があたりを満たしました。「いと高きところでは、神に栄光があるように。地の上では、み心にかなう人々に平和があるように。あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。」

彼方の東の国では、別のしるしである明るい星が空にあらわれ、ある博士たちの目に留まりました。博士たちはその意味を理解したので、星について行き、 はるか遠くまで荒野を横断しました。星はやがて彼らを、幼な子イエスがいるまさにその場所である、ベツレヘムという小さな町へと導き、そこで彼らは幼な子を拝し、高価な贈り物を捧げたのです。

イエスは、木工を生業とする慎ましい大工である地上の父と一緒に暮らし、働かれました。そして、私たちをより良く理解し、愛し、私たち人間の限られた理解レベルで意思疎通できるように、私たち人間と同じ生き方や慣習、言語、暮らしを経験されました。イエスは人が苦しむ姿を見て深く憐れみ、病人やけが人をいやすだけではなく、彼らの霊を救いたいと切に望まれました。

そのライフワークを始めた時、イエスはあらゆる場所へ行って善をなし、人々を助け、子どもたちを愛し、傷ついた心や疲れた体をいやし、ご自身を信じるすべての人を救われました。メッセージを説くだけではなく、人々に混じって、ご自分が説いたことをそのまま生きておられました。また、人々の霊的な必要ばかりか、身体的および物質的な必要を満たすためにも多くの時間を費やし、彼らが病気の時には奇跡的にいやし、空腹な時には食べ物を与えるなどして、自らの命と愛を分け合われました。

イエスの宗教はとても単純なので、幼な子のようになってそれを受け入れなければならないと言われたほどです。神殿礼拝をするようにとか、会堂や教会へ行くようにと説くことはありませんでした。イエスは神への愛と互いへの愛を説き、神の愛を示しながら、神の子どもたちを神の国へと導き入れようとしておられました。そして、神の最も大切ないましめとは、「心を尽くして主なる神を愛せよ」と「自分を愛するように隣り人を愛せよ」であると言われたのです。

イエスはただの宗教改革者ではなく、革命家であり、貧しい庶民に愛を示されました。ご自身の評判は気にせず、罪びとやのけ者、社会からしいたげられた人たちに、メッセージをお伝えになりました。そして、そういった人たちこそ、イエスやその愛のメッセージを拒んだ独善的な宗教指導者たちよりも先に天国へ入る、とさえ言われたのです。その愛の力、人を動かす力はとても強く、誠実に真理を探し求める人に大いに信仰を与えました。そのため、多くの人がためらいもせず、イエスに従おうとしてすぐにすべてを投げうち、捨てて、自分の人生をささげました。

一度、弟子たちと湖を小舟で渡ろうとして大嵐に見舞われ、舟が沈みそうになった時があります。そこでイエスが風と波に対して静まるように命じられると、すぐに大なぎになりました。そのような奇跡的な力の現れを見て弟子たちは驚き、「この方はどういう人なのだろう。風も湖も従わせるとは」と互いに言い合いました。

宣教をしながら、イエスは目の見えない人が見えるように、耳の聞こえない人が聞こえるようにし、重い皮膚病の人をいやし、死人を生き返らせなさいました。その働きがあまりにも驚くべきものだったので、イエスに対して激しく反対し、憤っていた宗教組織に属する指導者のひとりまで、「わたしたちはあなたが神からこられたことを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるような奇跡は、だれにもできはしません」と感嘆したほどです。

その神の愛のメッセージが広まり、信者が増えるにつれ、宗教界と嫉妬に燃えた宗教指導者たちは、イエスが自分たちにとっていかに大きな脅威となったかに気づきました。その単純な愛の教義が、大祭司たちの支配から民衆を解放しており、それによって彼らの宗教体制全体と、彼らの権威や民衆への支配力を破壊しつつあったのです。

そのようなわけで、この強力な宗教的敵対者たちはついにイエスを捕らえ、扇動と謀反という虚偽の訴えにより、裁判にかけました。ローマ総督はイエスが無実であることに気づいたものの、この宗教家たちから死刑を執行するよう圧力を受け、説き伏せられてしまいました。

逮捕の直前、イエスはこのように言っておられます。「父の許しがなければ、彼らはわたしに触れることさえできない。わたしがちょっと指を上げるだけで、父はたくさんの天使たちをつかわして私を助けてくださることだろう。」 しかしそうする代わりに、イエスはあなたや私を救うために死ぬことをお選びになりました。誰かがその命を取り去ったというよりも、イエスの方から命を犠牲にされたのです。ご自身の自由意志によって、自発的に命を投げ出されたのでした。

しかし、その死でさえも、ねたみ深い敵たちを満足させはしませんでした。弟子たちが死体を盗んで「イエスはよみがえられた」と言うことができないように、墓の入り口に大きな石を置き、何人ものローマ兵を置いて番をさせたのです。その企ては無駄なことであると、後で判明しました。その番兵たち自身が、最大の奇跡の目撃者となったのですから。遺体が墓に納められて3日後、イエスは死からよみがえり、死と黄泉に対して永遠の勝利を収められました。

死はイエスの働きも言葉も、止めることはできませんでした。イエスはよみがえり、その小さな信者の集まりを導いて、彼らが愛によって、また福音の力によって、ローマ帝国に打ち勝つようにされたのです。イエス・キリストは、2千年近く前のその奇跡的な日以降も同様に、他のどんな指導者や団体、政府、帝国よりも、歴史を変え、文明の流れを変え、人の状態を変えるようなことを多く行ってこられました。何十億もの人を、希望なき死への恐れと不安から救い、永遠の命と神の愛を、誰でもその名前を呼び求める者にお与えになりました。

イエス・キリストは、単なる哲学者や教師やラビや導師ではなく、預言者でさえありません。神の御子なのです。偉大な創造主である神は霊であり、全知全能で、どこにでも、また全てのものの内におられ、私たち人間の限りある理解力をはるかに超えた方です。ですから神は、ご自分がどういう方であるかを示し、私たちをご自分のところへと導くために、人間の姿でイエスを送られました。これまで多くの偉大な教師が、愛や神について語り、教えてきましたが、イエスこそが愛であり、神です。また、世の罪のために死んでよみがえられた唯一の方です。イエスは唯一の救い主であるがゆえに、別格の存在なのです。イエスは言われました。「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」

イエス・キリストが本当に神の御子であり、救いへの道であるか否かを、疑いの余地もなく知るには、どうすればいいのでしょうか。答えは簡単です。イエスを試してみればいいのです。へりくだって心から祈り、イエスがご自身をあなたにあらわしてくださるようにお願いしてください。心の中に入ってあなたのすべての罪をゆるし、その愛と平安と喜びで人生を満たしてくださるよう、お願いすることです。

主は実在し、あなたを愛しておられます。あなたの代わりに死に、あなたの罪のために苦しまれたほどに。それはあなたがそうしなくても済むようにです。主を受け入れ、永遠の救いという主の無料の贈り物を受け入れるだけでいいのです。

けれども、あなたが望まないかぎり、イエスにはあなたを救えません。神の愛は全能ですが、無理やりあなたの人生に押し入ることはされません。あなたの心の扉をやさしくノックされます。蹴破ったり壊したりして入ってくるようなまねはなさいません。優しく、愛情こめて辛抱強くそこに立ち、あなたが扉を開けて中に招いてくれるのを待っておられます。

イエスを受け入れてはいかがでしょうか。そうすれば、イエスはあなたの人生で最も大切な方、最も親しい友、絶えず共にいる仲間となってくださるでしょう。イエスこそが最高の愛の人であられ、愛のために来て、愛をもって生き、愛のために死なれました。私たちが永遠に生き、愛することができるようにと。

ただ次の簡単な祈りを心から祈って、イエスをあなたの心の中に受け入れるだけでいいのです。

「イエス様、どうか私のすべての罪をおゆるしください。私のために死んでくださったことを信じます。あなたが神の子であると信じ、今私の心に入ってくださるようにとお願いします。扉を開いて、あなたをお招きしますので、どうか心の中に入ってください。そして、他の人たちもあなたを見つけることができるように、私があなたのことを話せるよう助けてください。イエス様のお名前で祈ります。アーメン。」

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信条

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理念

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